カテナチオ(1982年版)
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 オランダ98
 オランダ14
 カテナチオ(1982年版)
 カテナチオ(1970年版)
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 ドイツ00
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最大のMVPは監督?

1982年において、イタリア代表が採用した5-3-2フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

ゲーム中の「カテナチオ」について、旧無料版では「イタリア1970」と名づけられていた時期もあったため、当初は1970年のイタリア代表を想定しているものと考えておりましたが、1982年のスペインW杯優勝時のメンバーも5-3-2であることや、キーポジ(OH、LIV、GK)を考えると、こちらの方が想定がしっくり来るかもしれないと思い直しました。
よって、ここでは1982年のイタリア代表がゲーム中の「カテナチオ」であると仮定した上での想定を行います。

左図は、1982年スペインW杯でのイタリア代表の想定スターティングメンバーです。

1970年代に入り、欧州各国のサッカーは、1960年代にかけて高い個人技をベースにしたブラジル代表の前に翻弄され続けてきた反省を踏まえて、最終ラインで人数をかけて受けつぶすサッカーから、中盤の司令塔に前を向かせる前に潰すという戦術を採用するようになり、その波はイタリア伝統の「カテナチオ」にも影響を与えました。

守備的な5バックとはいえ、70年代に比べればラインを高めに取るようになり、またスイーパーではなくリベロシステムを採用することで、かつては守備に専念していた中盤のDHも積極的に攻撃参加するような形をとります。
カウンターからサイドバックの攻め上がりだけではなく、中盤からも球の出所を増やすようになり、攻撃の選択肢を増やすことでカウンターの成功率を高めるようになっています。

イタリアサッカー史上屈指のリベロと言われるガエタノ・シレアがリベロを担当。左サイドバックはサッカーセンスの塊と称されるカブリーニで、右サイドバックは闘志の塊「殺し屋」ジェンティーレ。CB2人を加えた5バックですが、ベルゴミではなくDHのオリアリを入れて4バックに近い形をとることもあったようです。

最後の砦は、1982年当時は40歳になるゾフ。「氷のGK」と呼ばれイタリア史上最高のGKであった彼も、この頃は「老眼GK」などと揶揄られており、代表の正GKに選ばれることに疑問を投げつけられていた向きもありましたが、W杯では安定したコーチング、セービング、判断力を披露し、老いてなお健在ぶりを示していました。

中盤は精力的に動き回るタルデリとコンティがボランチ的な役割を果たし、プレーメーカーになるトップ下には「フィレンツェの至宝」アントニョーニ。

得点源は、1980年に八百長事件で2年間の出場停止を食らい、復帰したばかりのパオロ・ロッシ。流石に2年間のブランクはどうなのとイタリア国内では、ゾフともども起用に懐疑的なフシもありました。

1982年当時のイタリア代表

監督は、エンツォ・ベアルツォット。1977年に代表監督に就任し、1986年のW杯まで実に10年近くイタリア代表の指揮を執ることになる監督です。1982年までに、1978年のW杯、1980年の欧州選手権で4位の成績を残しています。

その1982年のスペインW杯は、欧州予選からユーゴスラビアの2位に甘んじて辛うじて予選通過。本戦に入っても、ロッシの不振もあり攻撃陣が機能せず、3戦3分で総得点で辛うじて1次リーグ突破という低調な出来であり、40歳のゾフや長期出場停止明けでノーゴールのロッシを使い続けるベアルツォット監督は国内のメディアに激しく批判されていました。

この大会の目玉は、「黄金の中盤」を擁したブラジル代表で、ジーコ・ソクラテス・セレーゾ・ファルカンの4人による華麗な中盤は2012年の現在を以ってしても、史上最強のブラジル代表と言われることもしばしばあります。

この年のW杯は1次リーグの次に3チームで2次リーグを行い、その2次リーグの1位4チームが準決勝に勝ち上がるという方式を採用しておりました。

その2次リーグのグループCはイタリア、ブラジル、アルゼンチンという組み合わせになり、イタリア、ブラジルともにアルゼンチンのマラドーナを完璧に封じ込めて勝利し、準決勝進出をかけて激突します。

両国ともサッカー大国とは言え、「黄金の中盤」にはかなうまいというのが大方の見解でしたが、ここまでノーゴールだったロッシが突然覚醒。ブラジル相手にハットトリックをあげ、見事に2次リーグ突破を果たします。

この後、ロッシは準決勝のポーランド戦で2ゴール、決勝の西ドイツ戦でもゴールをあげ、最後の3試合だけで6得点。見事にイタリア代表優勝の最大貢献者とたたえられ、大会得点王も手にします。

この大会のイタリア代表は、後から考えると相当なメンバーが揃っていたわけですが、結果をなかなか出せなかったメンバーを信じて最後まで使い続けたベアルツォット監督の名采配が光った大会だったかもしれません。



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