セナの弔い合戦
1994年において、ブラジル代表が採用した4-4-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、1994年のブラジル代表のスターティングメンバー想定予想で、アメリカW杯の決勝vsイタリア戦などで確認されているメンバーになります。
ブラジル代表にしては珍しく、どちらかと言えば堅実な中盤のメンバーで、ゲームメイクするのも攻撃的なOHではなく、セントラルに構えたドゥンガが組み立てを行います。
2トップにロマーリオとベベットという個性的なストライカーがいるため、攻撃に転じた時はゴール前で華麗なテクニックとスピードを披露してくれます。
ドゥンガが中盤をコントロールしながら、両サイドバックが積極的に攻めあがり、空いたスペースを守備的なボランチであるマウロ・シルバがカバーするというのは、どことなく南米のチームと言うよりも欧州スタイルを髣髴とさせてくれました。
ちなみに、サイドバックの右は、1995年に鹿島アントラーズに入団するジョルジーニョで、左は想定では決勝戦メンバーを重視してブランコを入れましたが、決勝トーナメント1回戦で4試合の出場停止処分にされるまでは、これまたこのW杯の後に鹿島アントラーズに移籍するレオナルドが入っておりました。
ダブルボランチを採用したのは、この年のW杯予選からの布陣が初めてのことであり、イケイケなブラジル人にとっては守備的ともいえる布陣に見えてしまい、W杯で優勝したにもかかわらず、とかく守備的な布陣はいただけなかったと批判されることが多かったりします。
ですが、単に攻撃的ではないというだけで、守備偏重な布陣とは言いがたく、攻守にバランスを取った組織的な布陣であったと言えましょう。
1994年当時のブラジル代表
監督はブラジル人のカルロス・アルベルト・パレイラ。また、総監督にマリオ・ザガロが就いていました。
パレイラ監督は選手としてのプロ経験がないのですが、クウェートやUAEの代表監督としてW杯に参加したことがあり、1983年には短期間でしたがブラジル代表監督にも就任経験もある人です。
ペレらの活躍で1970年に3度目のW杯優勝を果たした「王国」ブラジルでしたが、その後24年の長きに渡ってW杯の優勝から遠ざかっていたことと、この年の5月にF1のスーパースターであるブラジル人のアイルトン・セナが事故死していた事から、今大会における優勝への期待は並々ならないものがありました。
南米予選を危なげなく突破し、W杯本戦のグループリーグはスウェーデン、ロシア、カメルーンと比較的与しやすいグループに入ります。
ロシアとカメルーン相手に2−0、3−0と勝ち、危なげなく予選突破を決めたものの、3戦目は消化試合でやややる気がなくスウェーデンに1−1で引き分けると、国内では批判が高まります。
決勝トーナメントは1回戦のアメリカ相手に1−0と試合中はほとんど危ないシーンがなかったものの、サッカー後進国とみられていたアメリカ相手に善戦されるとはと、これまた批判が高まるという。危なげない試合運びをしているのに、なぜか批判されてしまうという状況が続きます。
準々決勝はライカールトやクーマン率いるオランダ戦。この試合は激戦となりますが3−2で勝ちあがり、続くスウェーデン戦は堅実な試合運びで1−0で勝利します。
この頃になると、常に1点差というのが不満ながらも、とにかくW杯優勝が見えてきたこともあり、国内での批判は鎮静化しつつあり、とにかく久しぶりの優勝とセナの弔いという目標に向かってラテン気質らしくお祭りモードに入っています。
決勝の相手はイタリア。バレージの洗練されたライン統率にロマーリオ、ベベットが完封され、この大会で大事な時にゴールを重ねてきたロベルト・バッジョを恐れて、サイドバックもなかなか攻め上がることができず、消極的な試合運びでスコアレスドローに終わってしまいます。
最終的には「バッジョとバレージがしくじったPK戦」で、ブラジルが優勝を決めるのですが、決勝戦の消極的な試合ぶり+PK戦がどうしてもイタリア側がミスってくれたおかげで勝ったという印象があったために、沈静化していた国民の批判も再び持ち上がり、その後も1994年の代表チームはセナの弔いを果たしたという大目標を達成したのに国内では評価の低い代表チームとされるのでありました。
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