モデルの想定・その他のケース
左図@は、Webサカの韓国1999年フォーメーションの想定予想です。
まず、はじめに断っておきます。1999年に韓国のA代表は親善試合2試合とコリアンカップの3試合を戦ってますが、この5試合とも3-4-3か3-6-1の布陣で戦っており、3-5-2と言えるような布陣を採用している試合は1試合もありませんでした。
なので、今回の想定予想の方針としては・・・ 1.1999年当時に韓国代表として多く試合に出ていた選手をピックアップ 2.日本人に馴染みのJリーガー中心 ・・・を想定に反映させております。
その結果、Jリーグ経験者が8人も。 一応、この8人とも1999年の代表召集及び試合出場は多い方に入ります。
この想定から外した人材としては、FWで金度勲(1999年の5試合全てで途中出場)、右ウイングの徐正源、OHにテクニシャンの高宗秀、ボランチの崔尹烈、左ウイングバックに李榮杓、右ウイングバックに朴珍燮、GKに金秉址あたりが、比較的多く召集されていました。
1999年当時の韓国代表
当時の監督は、許丁茂。現役時代は「犬」と呼ばれるような闘争心むき出しでしつこい守備を信条とした選手で、あのマラドーナに「彼はテコンドーで私に向かってきた」と言わせたほどでした。 クラブチームで実績を積み、フランスW杯後に、日韓W杯の代表監督を任せられる人材として抜擢されています。
上記に書きましたが、1999年の韓国A代表は5試合しか戦ってません。ただし、その内の1試合、3月末にブラジルとの親善試合でホームではありますが、リバウドやカフーやベルナンブカーノなどがいるそれなりのメンバー(勿論、ベストメンバーではないですが)を揃えてきたブラジル相手に1−0で勝利を上げてます。 その時のスターティングメンバーが左図Aになります。
この勝利は2012年現在の時点で、「アジアのA代表が、国際AマッチでブラジルのA代表に勝利した」唯一の例であります。
1998年のW杯が終わった直後で、翌年にアジアカップが控えてはいましたが、むしろアテネ五輪予選の方に強化や注目が偏っていた最中での出来事に韓国国内でも盛り上がりを見せた春の椿事でした。
尤も、1999年の5試合で勝った試合がその試合だけで、他は1敗3分。特に、最後の開催となったコリアカップは0勝0敗3分で終わってしまったため、許丁茂監督の手腕に疑問符が湧き出てきた年でもありました。(結局、翌年には許丁茂監督は解任され、フース・ヒディングという超大物を招聘するに至るのですが、それは又、別のお話。)
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