イラン1997
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 オランダ98
 オランダ14
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 ドイツ00
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 日本97
 日本00
 日本01
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 日本22
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 バルセロナ04-05
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 バルセロナ14-15
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ジョホールバルの「悲劇」とメルボルンの「歓喜」

1997年おいて、イラン代表が採用した4-5-1フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

上図は、1997年のイラン代表について想定予想のスターティングメンバーです。なお、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」と言われた、フランスW杯アジア第三代表決定戦での先発メンバーを、左はwebサカのフォーメーションに当てはめた場合、右は、実際の試合での役割を加味したうえで、おおむねのポジションを示したフォーメーションになります。
webサカでは4−5−1となっていますが、実際のところ、ザリンチェフはW杯本戦ではスイーパーでしたが、この試合では右サイドよりの守備的MFで、基本は3−5−2。ただし、右サイドのマハダビキアがほとんど右ウイングで上がりっぱなしの変則3−4−3で戦ってました。

攻撃の要はセンターフォワードのダエイ。イランの「英雄」で「ペルシアン・タワー」の異名通り、高い打点からの空中戦を得意とし、シュートにポストプレーにと、とにかく彼にボールを集めるのがイランの戦い方でした。

ダエイのサポートはパワードリブラーであるアジジと、ジョホールバルでは右サイドのウイングとしてマハダビキアが入っていましたが、webサカではスピードのあるトップ下タイプが良いらしく、攻撃的なMFであるモトラグが該当します。

中盤は、左サイドから攻守に積極的に動き回るマンスーリアン、攻撃的で本来ならウインガーでより高い位置取りをする右ウイングバックのマハダビキア。そして、当時のイランではほぼ唯一と言ってよいタメを作ることができ、独特のリズムでゲームメイクできるエスティリがボランチを務めます。

なお、ジョホールバルでは出場停止で試合にでていなかったバゲリというやたら得点能力が高いボランチがいて、本来ならモトラグではなくバゲリを加え、マハダビキアが右ウイングに上がり、右のウイングバックにザリンチェフを入れた4人がフラットに並んだ布陣が中盤のレギュラーでした。

スイーパーは、フランスワールドカップ本戦ではハニが務めますが、ジョホールバルのメンバーですとザリンチェフが該当することになります。なお、ザリンチェフはジョホールバルでは右寄りのボランチに入っています。もともと、ザリンチェフはマハダビキアがレギュラーになる前の攻撃的な右ウイングバックのレギュラーでスピードと強烈なタックルを武器とする選手でした。

3バックの内、ラインコントロールのできるペイラヴァニと、右サイド寄りに構えるフィジカル強いハクプールは固定。3人目はジョホールバルではアサディ、フランスではパシャザデーが使われています。

最後にGKはアベドザデー。ジョホールバルでは露骨な時間稼ぎをするなどしたため、日本では「演技派w」などと揶揄られる事もありますが、反射神経に優れた名手でもあり、また冷静に状況を把握し時間稼ぎを行うなど、頭が良いという側面も持っていました。

1997年当時のイラン代表

監督は、ブラジル人のバドゥ・ビエイラ。主に中南米のクラブチームの監督を歴任し、1996年にコスタリカ代表監督でナショナルチームを初めて率いた後、主にイラン代表監督をはじめとした中東のクラブや国代表を率いて、近年では日本でも長野パルセイロや京都パープルサンガの監督に招聘されたりもしました。

1997年10月、イランサッカー協会は、アジア最終予選でそれまで負けたことがなかったオマーンに敗れてグループ2位になり、第三代表決定戦に回ることが決まった直後、前監督のマーエリーコハンを解任し、当初予定では五輪代表監督として招聘していたビエイラをA代表の監督に就任させることになったのでした。

※ちなみに、ネットで探せばイラン代表監督就任の裏事情を話したインタビュー記事が見つかります。中々面白いです。

ビエイラが監督に就任して、最初に行ったことは、前任者が組織を重要視するあまりに、かえって選手たちから反発を買ってしまった事実を踏まえて、各選手たちと対話を繰り返し、個人を尊重するところから始めました。

第三代表決定戦までの短い時間で、根気よく対話を続けた結果、ダエイをはじめとした選手たちからの信頼を勝ち得て、バラバラになりかかっていたチームを再びまとめあげます。

もともと、イランの選手は個の力に頼れるだけの能力を持った選手が多かったことと、戦術理解を深める時間がない。そして、何よりも「セルフコントロールが利かない(ビエイラ氏談)」イラン人の特徴を踏まえたうえで、ひたすらハイボールからのカウンターという個の能力に完全に依存したパワープレーに徹することになります。

そして、迎えた第三代表決定戦は、日本人が言うところの「ジョホールバルの歓喜」で代表権を取れず、大陸間プレーオフであるオーストラリア人が言うところの「メルボルンの悲劇」によって、改めてワールドカップへの最終切符を手に入れる事になるのでした。



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