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ザック・ミラン

1998-1999年シーズンにおいてイタリアのACミランが採用した3-4-3フォーメーションについての想定予想です。

なお、ゲーム表記の「ロッソネロ」とは、ユニフォームが「赤(ロッソ)黒(ネロ)」であることから、イタリアリーグのACミランで呼ばれている愛称であります。

モデルの想定・その他のケース

左図は、1998-1999年シーズンにおけるACミランを想定したスターティングメンバーです。

ザッケローニお得意の3−4−3ですが、実際はシーズン中盤まで不安定な戦いをしていたため、途中から3−4−1−2に切り替える羽目になっています。

3トップ表記ですが、役割的には1トップ2シャドー。
ヘディングに強く図抜けた得点力を持ったビアホフをトップに据え、実質的なトップ下としてゴールもラストパスも出せるレオナルドと、基本的にはストライカーである「リベリアの怪人」ウェアが左右から中に切れ込む形で控えます。

中盤はフラットな並びの4人。
中央の2人は中盤の底から司令塔となってパスを散らすアルベルティーニと、空中戦が強く、激しくチェイシングするアンブロジーニという両対称なコンビ。

一方、両サイドハーフは右がクロッサーであるヘルヴェグが大半の試合に出ていますが、左サイドは3−4−3の時点では固定できていません。
一応、試合出場数からボバンを想定に当て込んでいますが、もともと中央向きの選手であり、ゲーム中で活躍するタイプが左サイドに高めの適性があるトップ下という感じなので、左サイドの適性が低めのハポンを置いてもムラっぽい評価になるかもしれません。
なお、ボバン以外ですと、シーズン後半の3−4−1−2でレギュラーとなるグリエルミンピエトロや、ツィーゲ、ココ、マルディーニなど、左サイドバック的な選手を使っています。

グランデミランを支えたマルディーニとコスタクルタに、補強組のサーラやヌゴッティ、アジャラと言った面々が3バックで守備を支えます。

最後の砦は、シーズン序盤こそレーマンとロッシが守っていましたが、シーズン中盤からアッビアーティが正GKのポジションを奪取しています。

攻撃的なタレントの個人力に頼ることも多く、攻守のバランスに欠けたきらいがあったこの時期のミランの3−4−3。
とはいえ、4バックで堅守カウンターが中心のセリエAにおいて、攻撃的に3トップを中央に集めて2CBに対して数的優位を作るという戦略は、ザッケローニのウディネーゼ時代に旋風を巻き起こしたもので、悪い戦略ではありませんでした。

日本代表監督になってからも、中央に数的優位を作り出すという戦略を軸にして、中に切れ込みゴールができる香川や岡崎をサイドに配しているのは、その頃からの名残なのでしょう。

結局、この時期のミランで不安定な戦いぶりになってしまったのは、いかな才能あるタレントでも選手各人の個性に見合ったポジションに置くことができなければ、結局、宝の持ち腐れになってしまうという事を表していたのかもしれません。

1998-1999年当時のACミラン

監督はイタリア人のアルベルト・ザッケローニ。2013年現在、日本代表監督としてお馴染みの人物です。
ご存知の通り、守備的な4バックが主体であった当時のセリエでは珍しく、攻撃的な3バック3トップを軸にした戦術を好んでおります。

「グランデミラン」と呼ばれたACミランの黄金時代も、バレージの衰えとともに終焉を迎えます。
主力選手の世代交代もなかなか進まず、1996−97、1997−98の2シーズンとも2桁順位に終わってしまいました。

そんな名門の再建を託されたのが、セリエAとBをウロウロしているのが当たり前だったチームをAに定着せしめ、1997−98シーズンには3位に入った「奇跡のウディネーゼ」を3年間率いたザッケローニでした。

もともと攻撃的な人材は豊富であったため、ウディネーゼでの成功の源になった3−4−3を引っさげるために、ビアホフ以外は地味ながら精力的に働ける守備的な選手を多く補強し、攻撃的なスター選手を活かすために、まず守備の安定から取り組みました。

しかしながら、シーズン当初から一部ポジションを固定できず、選手の特性にあわせるというよりも、3−4−3に無理やり選手を当て込んで、かえってバランスを崩してしまいます。

リーグは混戦模様だったため順位は悪くありませんでしたが、シーズン中盤にラッツィオが9連勝して抜け出し、11節目のパルマ戦に0−4で負けたりと、20節目までとりこぼしが結構あったミランの逆転はほぼないだろうと思われました。

この頃、ようやく選手たちの特性を把握できたザッケローニは、ここまで慣れないポジションで戸惑いを見せていたボバンやウェアらを活かすために、3−4−3を捨て3−4−1−2に切り替え、チームの安定化を図ります。

これが功を奏し、3−4−3の時はアルベルティーニが中盤の底からサイドの深いところへパスを出していたものが、3−4−1−2になりトップ下のボバンを経由することでスムーズにつながるようになり、ヘルベグやグリエルミンピエトロらのクロスが有効に出せるようになりました。

首位を走っていたラッツィオがシーズン終盤の大事な時期に足踏みした一方、21節目以降のミランは10勝1敗3分、特に最後の7戦は全勝することにより逆転優勝を果たすのでありました。

「3−4−3」システムはザッケローニの代名詞ともいわれておりますが、実際にミランでスクデットを取れた原動力は「3−4−1−2」への切り替えを敢行したことにあったのでした。



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