名将伝説、第1章
2003-04シーズンにおいて、ポルトガル・スーペルリーグのFCポルトが採用した4-3-1-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2003-04年シーズン当時のFCポルト想定予想のスターティングメンバーです。 なお、マッカーシーをカルロス・アルベルトに代えると、欧州CL03-04決勝戦のメンバーになります。
2トップは、アフリカ系特有の身体能力を武器にゴールを量産したマッカーシーと、テクニカルな「忍者」デルレイ。 特にモウリーニョお得意のカウンターサッカーにおいて、マッカーシーの破壊的なスピードと決定力は欠かせないものでした。
トップ下はブラジル生まれのポルトガル人デコで、彼がこのチームの司令塔。後にバルセロナへ移籍した際に見せるように、この頃から非常に豊富な運動量とテクニックで、攻守に重大な役割を果たしています。
マニシェ、ペドロ・メンデス、コスティーニャのトリプルボランチは、マニシェとメンデスは今でいうインサイドハーフ、コスティーニャがアンカー的な役割を果たします。
ベテランの「野獣」ジョルジュ・コスタと、モウリーニョ監督がその後、色んなチームへ連れていくカルバーリョの両センターバックに、オーバーラップからサイドアタックを仕掛ける右サイドのフェレイラと左サイドのバレンテが強固なディフェンスラインを築きます。
最後の砦は、ポルトガル「黄金世代」の正GKであるバイーア。彼もまた、知名度的にはそう高くないものの欧州ではトップレベルのセービング能力とコーチングのできる鉄壁でした。
モウリーニョの代名詞となる「高速カウンター」を用いてビッグタイトルを取った最初のクラブです。 前線とディフェンスラインが間延びし、そこをつかれやすいというモロさも同居していましたが、とにかく、堅く守って、奪って素早く相手ゴールに向かうシンプルなサッカーを展開することで、実績を上げたチームであります。
2003-04年シーズン当時のFCポルト
監督は、ポルトガル人のジョゼ・モウリーニョ。もはや、説明不要の「スペシャル・ワン」ですが、チームタイトルを手にしたのは、このFCポルト時代が初めてでした。
2001-02年シーズン中にFCポルトにモウリーニョが監督に就任するや否や、不振にあえいでいたチームが息を吹き返します。 翌2002-03シーズンは、ポルトガルリーグ、国内カップに、UEFAカップのトレブルを達成。
そして、迎えた2003-04シーズンが、FCポルトとモウリーニョのハイライトとなりました。
国内カップこそ決勝で敗れたものの、リーグは圧倒的な強さで優勝。
さらに、欧州CLはレアルマドリードと同組になった予選を3勝1敗2分で手堅く2位通過。
03-04シーズンの欧州CLは決勝トーナメントで波乱が相次いぎ、強豪クラブが次つと敗退。ポルトも1回戦でマンチェスター・ユナイテッドを破る殊勲の星を上げています。
その後、リヨン、デポルティボと撃破。決勝はフランスリーグ・アンのモナコとの組み合わせになりますが、ここも3−0完勝。欧州全体では中堅クラブと言えるFCポルトに、前年のUEFAカップに引き続き2年連続で欧州タイトルをもたらすのでした。
チェルシーを筆頭としてオイルマネーによる金満クラブチームが相次いで高額選手の補強を行い話題になっていた時期に、いわゆるビッグクラブではない、ポルトとモナコが欧州CL決勝を戦ったことは、一つの警鐘であるとも言われました。
が、中堅クラブの星となったモウリーニョは、翌年チェルシーに引き抜かれ、チェルシーでも実績を残し、それ以降はビッグクラブを渡り歩く名将としての地位を確立していきます。
また、欧州CLも、このシーズン以降、いわゆる四大リーグ(英西伊独)のビッグクラブの独壇場となり、中堅クラスのクラブが割って入るのは非常に厳しい舞台となっているのでありました。
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