偉大なる赤(ロッソ)黒(ネロ)
1988-1989年シーズンにおいてイタリアのACミランが採用した4-4-2フォーメーションについての想定予想です。
なお、ゲーム表記の「ロッソネロ」とは、ユニフォームが「赤(ロッソ)黒(ネロ)」であることから、イタリアリーグのACミランで呼ばれている愛称であります。
モデルの想定・その他のケース
左図は、1988-1989年シーズンにおけるACミランを想定したスターティングメンバーです。欧州カップ決勝のvsブカレスト戦で確認されているメンバーでもあります。
4−4−2のフラットなシステムで、いわゆる「ゾーンプレス」を最も華麗に成功させたチームでもあります。
2トップと司令塔にオランダ・トリオのファン・バステン、グーリット、ライカールトがいます彼ら3人が軸になります。
なお、FWに関しては清水エスパルスで引退することになるマッサーロやシモーネなどの名手たちが控えに回っています。
プレッシングサッカーのキモとなる中盤にライカールトは不動として、その他としてはドナドニ、コロンボ、アンチェロッティ、エヴァーニ、フゼールなどが入ります。
ゲーム中ではドナーティが右サイドハーフで活躍するのに、左ではからっきしなので、それを踏まえた想定としています。
最終ラインは不動のリベロであるバレージを中心に、若き日のマルディーニ、コスタクルタ、タソッティといったメンバーで、鉄壁のDFラインを築きあげてました。
1988-1989年当時のACミラン
監督はイタリア人のアリゴ・サッキ。サッカー選手としてのキャリアはなく、独学でサッカー指導者としての理論を身につけ、アマチュアの少年チームの監督から始まり、セリエCのパルマの監督まで這い上がり、コッパ・イタリアでミランを破るという快挙を成し遂げたことから、ACミランの監督として招聘されたのでありました。
1987年にサッキ監督が就任した初年度に、いきなりセリエAを17勝2敗11分で優勝を成し遂げてしまいます。
前年にグーリットとファン・バステンを補強していたミランは、1988年にはライカールトも獲得し、ここにACミランのオランダ・トリオが結集することになるのでした。
リーグ連覇が期待された1988-1989シーズンは3位に終わってしまいますが、欧州CLを準決勝のレアルマドリードを2戦合計6−1で、決勝のブカレスト戦は4−0と、攻撃力を売りにしていた2チームに何もさせない完璧なサッカーを披露して、見事欧州チャンピォンに輝くのでありました。
余談ですが、ACミランはほぼ同じメンバーで翌年の欧州CLも制覇することになり、後に「グランデ・ミラン」と言われたACミラン黄金時代の礎が始まったのでありました。
ゾーンプレス
Jリーグが始まった頃、横浜フリューゲルスや日本代表でも採用され流行語のように扱われた「ゾーンプレス」という、サッカーの戦術ですが、これは別にサッキ監督が始めて使った戦術というわけではありません。
元々はイングランドのリバプールが始めた戦術であり、サッキはナポリで全盛時代を迎えていたマラドーナの対策として、ゾーンプレスを徐々に改良させて、一つの完成形を作り上げたのであります。
リバプールが最初に使ったゾーンプレスは、それまでの中心戦術であったマンマーク+カバーリングという概念から脱却し、相手が攻め込んでくるであろうスペースを先読みしつつ埋めるために、ポジショニングをとるという戦術でありました。
サッキは、そこから更にオフサイドトラップを採用することで、DFラインを高く取る形を作り、中盤と最終ラインの間を狭くして、プレッシングする際にMFとDFが連携しやすい形を整え、ボールを奪ったらすぐにショートカウンターでパス回しをするという機動性を高めたプレッシングサッカーに昇華させたのであります。
これは、サッカーの守備戦術における一つの革命でもありました。 特に、ガチガチ5バック当たり前、守備に人数をかけるのはマンマーク+カバーリングする際の数を増やすためなんて考えがしみついているセリエAでそれを成功させたのは、サッカー選手としてのキャリアがなかったサッキならではの発想だったのかもしれません。
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