ルーマニア2000
各フォーメーション
 アーセナル03-04
 アムステルダム94-95
 アルゼンチン98
 アルゼンチン01
 アルゼンチン14
 アルゼンチン22
 イタリア94
 イタリア00
 イタリア06
 イタリア12
 イタリア2020
 イラン97
 イングランド00
 イングランド14
 イングランド2020
 ヴァレンシア03-04
 ウルグアイ1930
 ウルグアイ02
 ウルグアイ14
 オランダ74
 オランダ88
 オランダ98
 オランダ14
 カテナチオ
 ガラタサライ99-00
 韓国99
 ギリシャ04
 クリスマスツリー
 クロアチア18
 コスタリカ14
 コロンビア13
 コートジボワール14
 スペイン00
 スペイン08
 スペイン12
 セネガル02
 スロベニア00
 チェコ03
 チェルシー04-05
 チェルシー14-15
 チェルシー16-17
 チリ98
 チリ14
 デンマーク86
 トッテナム18-19
 西ドイツ74
 ドイツ90
 ドイツ00
 ドイツ14
 ドルトムント11-12
 ドルトムント15-16
 ナポリ11-12
 日本68
 日本96
 日本97
 日本00
 日本01
 日本11
 日本22
 ネラッズーロ90-91
 ネラッズーロ09-10
 ノルウェー00
 バイエルン00-01
 バイエルン13-14
 バイエルン15-16
 バイエルン19-20
 バルセロナ99-00
 バルセロナ04-05
 バルセロナ10-11
 バルセロナ14-15
 パルマ98-99
 パリ12-13
 ビアンコネーロ84-85
 ビアンコネーロ95-96
 ビアンコネーロ02-03
 ビアンコネーロ13-14
 ビアンコネーロ16-17
 ビジャレアル05-06
 ブラジル82
 ブラジル94
 ブラジル98
 ブラジル02
 ブラジル06
 ブラジル14
 フランス82
 フランス00
 フランス04
 フランス14
 フランス16
 フランス18
 ベルギー13
 ポルト03-04
 ポルトガル00
 ポルトガル14
 ポルトガル16
 マドリード01-02
 マドリード11-12
 マドリード13-14
 マドリード21-22
 マドリードA13-14
 マンチェスターU98-99
 マンチェスターU07-08
 マンチェスターC11-12
 マンチェスターC20-21
 モナコ03-04
 モロッコ2022
 ユーゴスラビア94
 ユーゴスラビア00
 ラツィオ99-00
 リヴァプール04-05
 リヴァプール08-09
 リヴァプール18-19
 リヨン04-05
 ルーマニア00
 レバークーゼン01-02
 レバークーゼン23-24
 ロッソネーロ88-89
 ロッソネーロ98-99
 ローマ00-01
 ローマ07-08
 N-BOX
 浦和06
 大阪G08
 川崎18
 横浜M03
 webサカ2チラ裏
 Webサカ(PC版)
 コンテンツトップへ戻る


 銀狐のあんぱん屋
 トップへ戻る


老王は消え去るのみ

2000年において、ルーマニア代表が採用した3-5-2フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

左図は、2000年当時のルーマニア代表について想定予想のスターティングメンバーです。
EURO2000のグループリーグvsドイツ戦で確認されたメンバーでもあります。
ただ、実際のところ、2000年当時のルーマニアはWBの2人をサイドバックとしてオーソドックスな4-4-2で戦うことが多かったようです。

攻撃の中心は、「東欧のマラドーナ」こと、ゲオルゲ・ハジ。ルーマニア史上最高の選手であり、ルーマニアの黄金期を作ったMFです。この時期はキャリアの晩年で、翌2001年シーズン終了後には引退するのですが、それでもその左足から繰り出すパス・シュートは冴え渡り、EURO2000でも健在ぶりを見せ付けてくれました。

ドリブラーとしてバレンシアで活躍していたイリエと、パワフルなシュートが持ち味で、この時期はハジが所属するガラタサライのライバルチームであるフェネルバフチェに所属していたモルドヴァンの2トップ。

ムンテアーヌとガルカは中盤の守備面を担当し、攻守のリンクマンとして精力的に動きつつハジをサポートします。

ウイングバックの2人は、本職サイドバックなためやや守備的ながら、右のペトレスク(あるいはコントラ)は積極的に攻めあがることも多いタイプでした。

スイーパーは、ハジとガラタサライの同僚ポペスクを中心に、フィジカルに長けたタイプが入ります。

カウンターから攻守の切り替えをすばやくし、中盤のパスワークで相手を崩してフィニッシュに持ち込む戦術で、その中心には常にハジが絡むという、典型的な「キング」サッカーです。

2000年当時のルーマニア代表

監督は、ルーマニア人のエメリク・イェネイ監督。
ステアウア・ブカレストで長らく中心選手として活躍し、引退後はステアウア・ブカレストを中心にルーマニアリーグのクラブチームの監督を歴任。1986年にはステアウア・ブカレストで欧州CC(現在のCL)でバルセロナを撃破し優勝するという快挙も成し遂げてます。

1986年からルーマニア代表監督を4年間務め、その後、ハンガリー代表監督や国外のクラブチームの監督のキャリアを経た上で、EURO2000の大会直前に、ハジやポペスクと対立し辞任してしまった前任者の後を受けて、再びルーマニア代表監督の指揮を執ることになるのでした。

2000年頃のルーマニアは、ポルトガルやハンガリーと同組であったEURO2000の予選を7勝0敗3分で突破し、EURO2000本戦への出場を決めていたのですが、前述した通り、本大会直前に前任の監督と攻守の中心選手であるハジとポペスクらが対立してしまい、監督が辞任。空中分解寸前の状態でした。

その状況を受けて就任したイェネイ監督は選手たちをよくまとめあげ、何とかベストメンバーで大会に臨むことができました。

EURO2000の本大会。グループリーグAで、ドイツ・イングランド・ポルトガルが同組という、いわゆる「死の組」に入ってしまいます。

ドイツと引き分け、予選で勝ったポルトガルに負けてしまい、最終イングランド戦は後がなくなった状態となってました。
しかも、ポルトガル戦でイエローカードをもらったハジは累積警告で出場できないという絶体絶命の状況に。

そんな絶体絶命状態を救ったのは、ルーマニア代表の意地だったのでしょうか。ハジの代わりにゲームメイクを担当したムトゥをはじめとして、ハジに頼らずとも何とかできると言わんばかりに、体を張ってイングランドに真っ向勝負を挑み、5枚のイエローカードをもらうものの、3−2で見事に勝利し決勝トーナメントへ進出します。

しかし、この勝利の代償は、ポペスクの怪我とペトレスク、イリエ、コントラの累積警告による出場停止。

決勝T1回戦のイタリア戦、主力4人を欠いたルーマニアは善戦するものの、後半早々にハジがイエロー2枚で退場するなどもあり0−2で敗退するのでありました。

余談ですが、この大会でハジとポペスクは代表を引退。この2人が主力として活躍していた1990年から2000年までルーマニアはW杯、EUROの予選を大抵突破していたのですが、その後は2012年現在にいたるまで、EURO2008を予選突破(GS敗退)しただけで、なかなかメジャー大会のひのき舞台に戻ることができなくなってしまっています。

ハジがいなくてもやれるという所を見せてくれたはずのEURO2000でしたが、皮肉にもそれ以降、若手が伸び悩み、欧州で苦戦を強いられ続けることになってしまうのでありました。



Webサカ(PC版)コンテンツトップに戻る

あんぱん屋トップに戻る