ルーマニア2000
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老王は消え去るのみ

2000年において、ルーマニア代表が採用した3-5-2フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

左図は、2000年当時のルーマニア代表について想定予想のスターティングメンバーです。
EURO2000のグループリーグvsドイツ戦で確認されたメンバーでもあります。
ただ、実際のところ、2000年当時のルーマニアはWBの2人をサイドバックとしてオーソドックスな4-4-2で戦うことが多かったようです。

攻撃の中心は、「東欧のマラドーナ」こと、ゲオルゲ・ハジ。ルーマニア史上最高の選手であり、ルーマニアの黄金期を作ったMFです。この時期はキャリアの晩年で、翌2001年シーズン終了後には引退するのですが、それでもその左足から繰り出すパス・シュートは冴え渡り、EURO2000でも健在ぶりを見せ付けてくれました。

ドリブラーとしてバレンシアで活躍していたイリエと、パワフルなシュートが持ち味で、この時期はハジが所属するガラタサライのライバルチームであるフェネルバフチェに所属していたモルドヴァンの2トップ。

ムンテアーヌとガルカは中盤の守備面を担当し、攻守のリンクマンとして精力的に動きつつハジをサポートします。

ウイングバックの2人は、本職サイドバックなためやや守備的ながら、右のペトレスク(あるいはコントラ)は積極的に攻めあがることも多いタイプでした。

スイーパーは、ハジとガラタサライの同僚ポペスクを中心に、フィジカルに長けたタイプが入ります。

カウンターから攻守の切り替えをすばやくし、中盤のパスワークで相手を崩してフィニッシュに持ち込む戦術で、その中心には常にハジが絡むという、典型的な「キング」サッカーです。

2000年当時のルーマニア代表

監督は、ルーマニア人のエメリク・イェネイ監督。
ステアウア・ブカレストで長らく中心選手として活躍し、引退後はステアウア・ブカレストを中心にルーマニアリーグのクラブチームの監督を歴任。1986年にはステアウア・ブカレストで欧州CC(現在のCL)でバルセロナを撃破し優勝するという快挙も成し遂げてます。

1986年からルーマニア代表監督を4年間務め、その後、ハンガリー代表監督や国外のクラブチームの監督のキャリアを経た上で、EURO2000の大会直前に、ハジやポペスクと対立し辞任してしまった前任者の後を受けて、再びルーマニア代表監督の指揮を執ることになるのでした。

2000年頃のルーマニアは、ポルトガルやハンガリーと同組であったEURO2000の予選を7勝0敗3分で突破し、EURO2000本戦への出場を決めていたのですが、前述した通り、本大会直前に前任の監督と攻守の中心選手であるハジとポペスクらが対立してしまい、監督が辞任。空中分解寸前の状態でした。

その状況を受けて就任したイェネイ監督は選手たちをよくまとめあげ、何とかベストメンバーで大会に臨むことができました。

EURO2000の本大会。グループリーグAで、ドイツ・イングランド・ポルトガルが同組という、いわゆる「死の組」に入ってしまいます。

ドイツと引き分け、予選で勝ったポルトガルに負けてしまい、最終イングランド戦は後がなくなった状態となってました。
しかも、ポルトガル戦でイエローカードをもらったハジは累積警告で出場できないという絶体絶命の状況に。

そんな絶体絶命状態を救ったのは、ルーマニア代表の意地だったのでしょうか。ハジの代わりにゲームメイクを担当したムトゥをはじめとして、ハジに頼らずとも何とかできると言わんばかりに、体を張ってイングランドに真っ向勝負を挑み、5枚のイエローカードをもらうものの、3−2で見事に勝利し決勝トーナメントへ進出します。

しかし、この勝利の代償は、ポペスクの怪我とペトレスク、イリエ、コントラの累積警告による出場停止。

決勝T1回戦のイタリア戦、主力4人を欠いたルーマニアは善戦するものの、後半早々にハジがイエロー2枚で退場するなどもあり0−2で敗退するのでありました。

余談ですが、この大会でハジとポペスクは代表を引退。この2人が主力として活躍していた1990年から2000年までルーマニアはW杯、EUROの予選を大抵突破していたのですが、その後は2012年現在にいたるまで、EURO2008を予選突破(GS敗退)しただけで、なかなかメジャー大会のひのき舞台に戻ることができなくなってしまっています。

ハジがいなくてもやれるという所を見せてくれたはずのEURO2000でしたが、皮肉にもそれ以降、若手が伸び悩み、欧州で苦戦を強いられ続けることになってしまうのでありました。



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