ノン・フライング・ダッチマン
1998年において、オランダ代表が採用した4-2-3-1フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、1998フランスW杯準々決勝オランダvsユーゴスラビア戦のスターティングメンバーになります。
図のメンバー以外ですと、ウイングハーフにゼンデンやオーフェルマルス、ボランチにシードルフやヴィンターなどが使われてたり、あるいは左サイドバックにコクーを配置するなどのオプションもありました。
ヒディンクは1998の大会では全試合同じ配置のメンバーを先発させることはなく、4-2-3-1だけでなく4-4-2や3-4-3など色々な組み合わせを使っています。
しかしながら、システムのいかんに関わらず、サイドの選手がスピードを活かしてオーバーラップし、高い位置から攻撃を組み立て、中央の選手がフィニッシュするという点で一貫したサッカーをしています。
ここ数年で色んなチームでよく見られるようになった4-2-3-1とシステム的には同じですが、ウイングが中に切れ込んでゴールを狙うという形はそんなに多くなく、戦術的には古き良きオランダを体現するサイドからの速攻が武器となります。
テクニシャンあり、パワフルなストライカーあり、ダイナモあり、スピードウインガーあり、ユーティリティプレイヤーありと多種多様な人材を、型にはめることなくうまく使いこなしたヒディンク流人材活用術の表れが、この1998年のオランダ代表といえるのでしょう。
1998年当時のオランダ代表
率いる監督は、オランダの名将フース・ヒディンク。戦力的にやや劣っているチームや調子を崩している強豪チームを率いさせると、たちどころにチームを立て直すその手腕と人材掌握術は「ヒディンク・マジック」と称されるほど優れたものを持つ監督です。
1988年にPSVで欧州CCを含めたトレブルを達成し、フェネルバフチェ、バレンシアと海外クラブの監督を率いた後に、1995年からオランダ代表監督に就任しています。
1996年の欧州選手権では優勝候補に挙げられるものの、主力の怪我や、人種差別問題に端を発するダーヴィッツとの確執などがあり、チームがバラバラになってしまい、ベスト8に終わってしまいます。
そうした反省を踏まえて迎えた1998年のW杯は、スタッフに黒人のライカールトを入れてチーム内のコミュニケーションを密にし、2年前には強制送還したダーヴィッツを再度召集してベストメンバーを揃えて、万全の体制で臨んだのでありました。
以上の経緯から、2年前と同様に優勝候補の呼び声も高いチームでしたが、クライファートが一発退場したり、オーフェルマルスが怪我するなどのアクシデントも重なり、意外な苦戦を強いられます。
予選リーグは得失点差で1位通過したものの、成績だけ見ると1勝2分。 決勝トーナメント1回戦はユーゴスラビア相手に後半ロスタイムでダーヴィッツの決勝ゴールで勝ち抜けたものの、ミヤトビッチのPK失敗や、不可解なストイコビッチ交代など運の要素にも恵まれた感がありました。
準々決勝のアルゼンチン戦、ニューマンがシメオネの挑発にかかり退場してしまったものの、オランダも逆にデル・サールがオルテガを挑発し、オルテガが一発退場。 何ともしまりのない試合になってしまいましたが、試合を決めたのは、後半44分デブール兄の綺麗なロングフィードをベルカンプが完璧なボールコントロールでトラップしてからのシュート。 大会ベストゴールともいわれる素晴らしいプレーを見せて準決勝に進みます。
準決勝で待ち受けていたのは「怪物」ロナウドがいるブラジル。この試合、ロナウドがパワフルなシュートを決めて先制されるものの、終了間際にクライファートが打点の高いヘディングシュートを決めて同点に。 PK戦までもつれ込みますが、コクーとデブール弟が外してしまい、惜しくも準決勝で敗退することとなったのでした。
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