日本1996
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 ドイツ00
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日本がブラジルに勝った日

1996年のアトランタ五輪において日本代表が採用した3-6-1フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

左図は、1996年のアトランタ五輪1次リーグvsブラジル戦でU-23日本代表が採用したスターティングメンバーです。
俗に言うところの「マイアミの奇跡」のメンバーです。

この世代のFWは小倉が期待されてましたが、1996年の初頭に大怪我をしてしまし、2トップから城の1トップに変更を余儀なくされていました。

中盤の攻撃的な2人、パサーの中田英とドリブラーの前園はほぼ不動。この2人がチームを引っ張ります。

ウイングバックには、攻撃的な三浦淳が試されたりもしましたが、守備面を重視すると言うことで、最終的には左が路木、右に遠藤彰がレギュラーの座を掴みます。

ボランチは伊東はほぼ不動。もう一方は、広長が先発することも多くありましたが、ブラジル戦は守備を優先して左ウイングバックもできる服部が先発しています。

3バックはトルシエのフラット3・・・ではなく、田中誠をスイーパーとして、左右を松田と鈴木秀が固めます。実は、この3人の中では1月頃じんましんで欠場していた松田が1番試合出場がすくなかったりします。

GKは下田もいましたが、ほぼ川口で固定になってます。

1996年当時のU-23日本代表

マイアミの奇跡を含めたアトランタでの奮闘は、今更語るようなこともないかもしれないので、五輪出場を決めるまでのエピソードでも。

監督は西野朗。現役時代は早稲田大学在籍時代から日本代表に選ばれ、日立(現在の柏レイソルの前身)のレギュラーとして活躍した天才肌のMFとして鳴らしていた人で、引退後、日立のコーチからワールドユース日本代表を経て、自身が指導したメンバーを引き続きアトランタ五輪でも監督として指揮することになりました。

上にも書きました通り、当初はエースストライカーとして小倉を予定していたのですが、大怪我をしてしまい出場は絶望的に。
また、1996年の1月から2月にかけて、小倉以外のレギュラー陣に負傷が相次いだため、3月からのアジア最終予選に暗雲が立ち込めて、マスコミも危機感を煽るような論調でU-23代表チームを報道していました。

1番の心配の種は、中田英寿の怪我で、最終予選には回復が間に合わないかもしれないといわれていましたが、驚異的な回復力を見せて、結局、最終予選までに回復が間に合わなかったのは小倉以外では松田だけで、その松田の代役で急遽招集された上村は代役以上の活躍をしてくれたのでありました。

アジア最終予選は8チームが2つに分かれて1次リーグを総当りで戦い、上位2チームが決勝トーナメント進出。その決勝トーナメントで1,2位(つまり、準決勝勝ったチーム)が五輪出場権を手にするというシステムでした。

1次予選は、アジアでのこの世代最強と目されていたサウジアラビアと韓国とは別リーグに入り、イラク・オマーン・UAEと比較的組しやすい国と同組になり、2勝1分で突破。

五輪出場権を賭けた準決勝はサウジアラビアが相手になります。
この試合、サウジアラビアのエースストライカーと司令塔にマンマークを貼り付ける戦術を採り、効果的にサウジアラビアの攻撃の芽を潰していきます。

攻撃面では、前園のドリブルが冴え渡り2得点。この2点を終盤はほぼ全員守備でサウジアラビアの猛攻をしのぎ、1失点してしまいますが、辛うじて逃げ切り、実に28年ぶりの五輪出場権を手にするのでありました。

ストライカー前園

前園真聖が日本のエースとして君臨していた時代がありました。

彼は当時、A代表にも選出されていたのですが、五輪出場権獲得のため、U-23代表に専念させるようサッカー協会がわざわざ方針を当時の代表監督(ファルカン)に確認するほどでした。

その期待に応えて、28年ぶりの五輪出場、ブラジル撃破の偉業を成し遂げた中心人物として、日本中にその名をとどろかせたものです。

そんな彼が、五輪後、A代表に選出されエースとして指名されつつも、往時の輝きを失い、代表落選、度重なるチーム移籍、そして最後はひっそりと引退していった有様は、当時の熱狂を知る身としてはかなり意外な物のようにも思えます。

五輪後の国外移籍騒動で、コンディションを崩してしまったことが、その後の低迷を招いたと良く言われますが、個人的には、それ以上に、彼のプレースタイルの変化が、彼自身を必要以上に苦しめてしまったのではないかと思ってます。

日本代表の中心人物として、周囲は中田英のような司令塔としての役割を前園に求めるようになり、彼もその期待に応えようとプレースタイルを変化させていきました。

このことが、日本きってのドリブラーであった前園の能力を狭めてしまったと思えて成りません。

彼がもがき苦しんでいる頃、対照的に日本代表の司令塔として君臨していた中田英は、雑誌Numberで日本代表のストライカーの決定力不足についてこのように語ることがありました。

「前園にFWとして、ストライカーとして代表に復帰してほしい」と

前園の本質は、あくまでドリブラーであり、ゴールに向かっていく姿勢そのものであるということを、親友の中田は知っていたのかもしれません。



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