白銀(4位)は黄金(二次予選敗退)より強し
1982年において、フランス代表が採用した4-4-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、1982年におけるフランス代表スターティングメンバーのWebサカでの想定予想です。1982年スペインW杯の準決勝vs西ドイツ戦のメンバーでもあります。
「白銀の四銃士」とも呼ばれる中盤の四人を中心に、フランスらしいパスサッカーを披露する布陣です。
四銃士の中心である「将軍」プラティニは、中盤にあってゲームメイクしつつドリブルとパスを織り交ぜゴール前に迫り、自ら得点を挙げるといういわゆるセカンドトップ的な役割を担います。
そのサポートをする3人も、パスとドリブルのうまいジレス、センターハーフとして基点となるジェンジーニ、豊富な運動量と高いボール奪取能力で中盤の守備面を担いつつ前線に展開させるティガナといったように役割分担がきっちりされていました。
左サイドの快速ウインガーであるシクスと、「うなぎ」と呼ばれるほどトリッキーなドリブルを駆使しながら前線でボールをキープし、時に自らゴールをあげるロシュトーの2トップ。
DFラインは、リベロのトレゾールを中心に、アモロスとポジスは前がかるタイプで、ジャンビオンは背こそ172cmと普通ですが、あたりに強いタイプで若いころはFWもやっていたように意外に空中戦にも強かったようです。
GKのエトリに不安はありましたが、トレゾールの卓越したラインコントロールとアンカーに構えるティガナの連携によりボール奪取率は高く、ボールを奪ったら即カウンターから華麗な中盤を経由して一気にゴール前に襲い掛かるという美しいカウンターサッカーを展開するのが得意なチームでした。
1982年当時のフランス代表
監督は、フランス人のミシェル・イダルゴ。選手時代はランスやモナコで活躍した中盤の選手で、引退後にフランスサッカー協会の指導委員を10年近く務めた後、1976年に初めての監督業がいきなりフランス代表監督という経歴を持つ監督です。 フランス代表監督は8年間務めますが、その間にW杯4位と欧州選手権優勝という実績をあげました。
パスサッカーを標榜しており、フランスらしい華麗な中盤の基礎を作り上げた人物と言っても過言ではありません。
スペイン大会の欧州予選2組は、フランス・ベルギー・オランダ・アイルランド・キプロスの5チームとなり、キプロス以外が拮抗する「死の組」と呼ぶにふさわしいグループとなっておりました。
フランス代表は、ホームを全勝、アウェイはキプロス以外に全敗で5勝3敗という成績を残しますが、勝ち点9〜11で4チームひしめきあう大混戦の中、得失点差で辛うじて2位通過を果たします。
迎えたスペインでのW杯本大会は一次予選の第4組。この組もアジア予選から出場のクウェートは明らかに格下でしたが、ロブソンを中心としたイングランドと、1976年の欧州王者であり「パネンカキック」で有名なパネンカを中心としたチェコスロバキアという強豪と同組になってしまいます。
この一時予選は初戦のイングランドに1−3で完敗。2戦目のクウェート戦は試合こそ4−1で圧勝しましたが、クウェート王族の横やりによる無茶苦茶なゴール取り消し事件があったりと波乱含みの展開です。
しかしながら、チェコスロバキアがクウェートに引き分けるという幸運もあり、欧州予選同様に辛うじて2位通過。
二次予選は比較的くみしやすい、北アイルランドとオーストリアが同組となり、ここは楽勝。この頃になるとフランス国内ではプラティニを中心とした中盤の4人を、同大会で人気を博したブラジル代表の「黄金のカルテット」に対抗して「白銀の四銃士」と名付けて、これも人気を博します。
その人気を不動にしたのが、準決勝の西ドイツ戦。 試合こそ、3−3からPK戦でフランスは敗退するのですが、この一戦はW杯史上でもベストマッチの1つともいわれる好ゲームとなるのでした。
なお、この試合の延長後半。西ドイツのGKシューマッハとフランスのMFバティストンが交錯。シューマッハのパンチングがモロにバティストンの顔面に炸裂し、バティストンが負傷退場してしまいます。
担架で運ばれるバティストンにプラティニが駆け寄り、お前のためにもこの試合必ず勝つと言って慰めたシーンも、このチームの人気を高めた要因となったかもしれません。
ちなみに、バティストンを殴ったシューマッハは普通なら赤紙一発退場ものですが、何のおとがめもなく、結局、PK戦でフランス最後のキッカーを止めることで、よくも悪くもこの試合のヒーローとなってしまうのでした。
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