ローマの王子様と日出ずる国の王様
2000-2001年シーズンにおいて、イタリアのASローマが採用した3-4-1-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2000-2001年シーズン当時のASローマについて想定予想のスターティングメンバーです。
攻撃の中心になるのは、トップ下のトッティ。 この当時の日本では、中田英も頑張ってる的な報道が多く見受けられましたが、結局のところサブメンバーの一人でしかなく、ローマの大黒柱として君臨するさまは王子というより王様であるかのようでした。
バティストゥータとデルベッキオというフィジカルに長けてポストプレイもでき、決定力も十分なものを誇る2トップ。これに控えとして、テクニシャンであるモンテッラなどもいます。
中盤は、汗かき役のトンマージと、司令塔としてカペッロから絶大な信頼を置かれたエメルソンがダブルボランチ。 この2人以外に怪我がちなエメルソンの控えとしてザネッティやディ・フランチェスコと言ったハイレベルな選手たちもいます。
ウイングバックとして右がカフー、左がカンデラ。ともに豊富な運動量から攻守にアクセントをつけます。
3バックは、3人ともガタイが良く空中戦に強いため中央を固めるタイプで、サムエル、ザーゴ、ゼビナに、この頃くらいから控えに回るようになったローマのレジェンドであるアウダイールなどがいます。
GKのアントニョーリは堅実な選手で、この時期がキャリアの絶頂。ブッフォン、トルドと言った当時のイタリア二大GKに続く第三GKとしてイタリア代表にも選出されました(ただし試合出場は0)。
とにかく、層の厚いチームでありながら、核と呼べる選手を前線、中盤、最終ラインに配置することで、見事に役割分担された規律的なチームです。 戦術的にはショートパスはほとんどなく、下がり目の中盤からロングパスで前線にボールを出すという大味なサッカーに終始していますが、それでもトッテイやバティストゥータの個の力で打開するなど力強いチームでもありました。
2000-2001年当時のASローマ
監督は
、イタリア人のファビオ・カペッロ。 現役時代からユヴェントス、ミラン、ローマなどで活躍し、現役引退後もサッキの後をうけて「グランデミラン」の黄金期を指揮するなど、名監督して名高い指導者です。
セリエAの監督らしく、規律と守備的な布陣を好む傾向にあり、良く言うと堅実、悪く言うと退屈なサッカーを繰り広げるため、結果を出させるために招聘されて、結果を出すと、その戦い方を忌避されるということがしばしばありました。
1999年シーズンにカペッロを招聘し、まずまずの戦いぶりを示したローマは、2000年シーズンに株式上場を果たして手に入れた資金を使い、バティストゥータ、サムエル、エメルソンといった前線・中盤・最終ラインで格になれる良質の選手たちを補強することに成功。
質量ともに充実したメンバーを用いたローマは序盤から首位争いをリードします。
選手層の薄さからシーズン後半で失速した前年と違い、後半に入ってからも中田英、モンテッラ、アウダイールら控えの選手たちもレギュラー陣が疲れを見せたり怪我したりした時の穴を十分以上に埋め、最後まで失速することなく18年ぶりのスクデットを獲得するに至るのでした。
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