モデルの想定・その他のケース
俗にACミランでクリスマスツリーと呼ばれる4-3-2-1型のシステムが最初に見受けられたのは、2004-2005シーズンです。
左図@は、ゲームでの想定図になります。これ、本来の2004-2005ACミランですと、FWはクレスポで、CBの2人は左右が逆(ついでに言えば、スタムよりもカラーゼの方が試合に出てたりします)であるはずなのですが、ゲーム内で活躍する選手の傾向から逆算で判断すると、こういう想定になるのではないかと予想します。
なお、左図Aは、2007年欧州CLの決勝vsリヴァプールで採用されたクリスマスツリーです。 この時期では、既にルイ・コスタはミランを退団しており、メンバーも半分は変更されてますが、カカ・ピルロ・ネスタあたりは不動のメンバーと言って良さそうです。
2004-2005シーズン当時のACミラン
当時の監督はカルロ・アンチェロッティ。ACミランの選手としても監督としても欧州CL制覇を経験しており、大舞台に強い人物としても知られています。
戦術的には、ボックス型の4-4-2を採用することも数試合ありましたが、主に中盤に3人のセンターハーフを並べてサイドアタッカーを使わないシステムを好み、2004-2005はクリスマスツリーを使わない時(というかメインシステム)は、4-3-1-2を採用しております。
2003-2004シーズンは2位に大差をつけて優勝しており、このシーズンもシェフチェンコやカカ・ルイ・コスタらが健在で、当然ながら連覇が期待されておりました。
序盤にユベントスが抜け出し、それをミランが追いかける展開となります。シーズン後半に入り、一時はミランが首位に立つ時期もあったのですが、第35節目の天王山でユベントスに負けてから最終38節まで残り試合は下位チーム相手に引き分けに終わり、2位に終わってしまいます。
また、欧州CLも順調に勝ち進み、決勝のリバプール相手に前半までに3−0とリードし、欧州制覇はほぼ決まったと思わせながら、後半の土壇場に追いつかれ、最後はPK戦で負けてしまいました。後に「イスタンブールの悲劇」と呼ばれる、CL史上屈指の大逆転劇で引き立て役となってしまったのです。
クリスマスツリーへの執念
アンチェロッティ監督は、2004-2005シーズン序盤は4-4-2、4-3-1-2、クリスマスツリーの3つのシステムを相手によって使い分けておりましたが、クリスマスツリーを採用する時は、インザーギ、シェフチェンコ、クレスポ、トマソンといったの4人の強力なFWの内の1人しか採用できないというジレンマもありました。
そのジレンマをミランの名物オーナーであるベルルスコーニ(元イタリア首相)に「強力なFWが沢山いるチームなのに、1人しかFWを使えないようなシステムを採用するのは宜しいことではない」と批判されてしまいます。
それでも、リーグ戦などでは結果を出していたので、そのような批判も大きなものにはならなかったのですが、欧州CLの準決勝vsPSVアイントフォーヘン戦の2ndレグで、クリスマスツリーを採用し1-3で完敗。アウェーゴールの差で何とか勝ち抜けることができたのですが、ホームで2-0で完封した相手に逆にしてやられてしまったことから、急速にクリスマスツリーへの批判が高まり、結局、その後はクリスマスツリーを封印することになります。
再びクリスマスツリーが本格的にお目見えすることになったのは、2年後の2006-2007年シーズン。
このシーズンのミランには、シェフチェンコもクレスポもトマソンも退団しており、インザーギは怪我がちで不振。
これで、アンチェロッティもハラをくくったらしく、堂々と4-3-2-1であるクリスマスツリーをメインシステムに据えて、シーズンに臨みます。
結果的にセリエAではシーズン序盤の不振がたたり4位に終わるものの、欧州CLは決勝で「イスタンブールの悲劇」の相手であるリバプールにクリスマスツリーでリベンジを果たし、欧州制覇を成し遂げるのでありました。
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