「黄金世代」の輝き
2000年において、ポルトガルが採用した4-5-1フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2000年当時のポルトガル代表について想定予想のスターティングメンバーです。
この当時、決定力不足を補うために、中盤の構成力を活かしつつウイングハーフがクロスおよび自らフィニッシュする4-2-3-1が流行ってました。この頃のポルトガルも正にそれ、中盤にレベルの高い人材を多く抱えつつも、慢性的にFWが決定力不足に陥っていたことから、このシステムが長いことポルトガル代表のスタンダードになっていきます。
この頃のポルトガルは、1989年、1991年のワールドユースを連覇したいわゆる「黄金世代」のメンバーが中心になってます。
司令塔ルイ・コスタ、ウイングハーフのフィーゴ、中盤の底にパウロ・ソウザ、センターバックはジョルジュ・コスタにコウトなどがA代表でも主力をつとめます。
悩みの種はセンターフォワードで、黄金世代のピントや、他にもパウレタなどがいましたが、EURO2000ではヌノ・ゴメスが活躍しており、これからの飛躍が期待されていました。
2000年当時のポルトガル代表
監督は、ポルトガル人のウンベルト・コエリョ。現役時代はポルトガル代表のセンターバックとして活躍し、ポルトガルサッカー史上最も優れたDFとされていました。
引退直後にポルトガルのクラブチームで2年ほど監督を務めた後、10年ほど現場から離れていたようですが、1997年、フランスW杯の欧州予選敗退を受けて、解任されたジョルジェ監督の後を受けて代表監督に就任することになります。
余談ですが、このコエリョ監督、ポルトガル代表監督を辞任した後、いくつかのナショナルチーム監督とクラブチーム監督に就任しているのですが、例えば韓国代表監督ではW杯予選やアジアカップ予選などで格下(モルディブとかベトナムとか)相手に引き分けたり負けたりして解任。チュニジア代表監督では3大会連続で出場していたW杯のアフリカ予選で敗退して解任するなど、正直言ってロクな結果を残せず解任されるというパターンを続けてしまっています。
さて、EURO2000でのポルトガル代表ですが、「黄金世代」のキャリアピークの時代でもあるため、前評判は高いものあがありました。 予選は2位でしたが、2位の中で最も成績が良かったためプレーオフ免除の予選通過を果たしています。
本戦のグループリーグはイングランド、ドイツ、ルーマニアと同組の「死のグループ」に入ってしまいますが、ここを3勝0敗で首位突破。
決勝トーナメントも1回戦のトルコを2−0で軽く一蹴し、優勝候補のフランスと準決勝で激突します。
この準決勝は延長戦までもつれこみフランスを苦しめますが、延長後半に微妙な判定からPKを取られて、それが決勝Vゴールとなってしまいベスト4で敗退という結果に終わります。
なお、この判定を巡って、ヌノ・ゴメスらが審判に執拗に食い下がってしまったため、3人の選手が半年近い出場停止処分を食らってしまうという後味の悪い結末が待っていたのでした・・・
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