最後の3バックリベロシステム
2000年シーズンにおいて、ドイツが採用した3-5-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2000年当時のドイツ代表について想定予想のスターティングメンバーです。
この年のメンバーは色んな選手が試されており、Webサカでは何を想定しているのかを予想するのが極めて難しいので、自信はありません。
リベロはマテウスで、中盤の底にハマンとイェレミースを入れましたが、2000年のドイツ代表でノボトニーが一番試合に出ているのとイェレミースがそんなに試合に出ていない事を考えると、リベロにノボトニー、LDHマテウス、RDHハマンという布陣想定もありえるのかも・・・?ただ、リベロがキーポジ扱いになっているのでマテウス想定かなあ、というのが判断材料です。
中盤のトップ下と右サイドハーフも判断が難しく、キーポジとしているトップ下にショルかヘスラーのどちらが入るかによって、右サイドハーフもショルかダイスラーかになりそう。
FWもパワー型2人という事で、とりあえずビアホフとヤンカーにしましたが、パワー型というならツィークラー、リンク、キルシュテンあたりも該当しそうです・・・
とにかく、この当時のドイツ代表はかなり迷走してしまっており、色んな選手が色んなポジションで試されているのが特徴と言えます。
2000年当時のドイツ代表
監督は、1998年フランスW杯後に代表監督に就任したエーリッヒ・リベック。バイエルンやドルトムントなどブンデスリーガのビッグクラブの監督を歴任した実績のある監督ですが、代表監督就任直前の2年間ブランクがあり、久しぶりの現場復帰と言うことで、国内では多少の懸念を持たれた人事でもありました。
ドイツ代表は1990年の東西ドイツ統合後も、サッカー大国としての地位を堅実に守り続けていましたが、1998年のフランスW杯の頃は、1990年代を支えてきた選手たちの高齢化、若手の伸び悩みなどの問題が顕在化し始め、準々決勝のクロアチア相手に0−3でまるで良いところなく敗れた試合にドイツ崩壊の兆候が見受けられるようになってきます。
EURO2000の時期も、若手に切り替えようとしても、中々活躍してくれない。そうなると、サッカー大国としての結果は残したいから、どうしても実績あるベテランに頼ってしまうという悪循環に陥り、結局、1998年のW杯時に衰えを露呈していた39歳のマテウスの代表召集という手に出ます。
2000年前後のサッカー界において、最も隆盛を誇っていた戦術はカウンターからのサイドアタックでありました。 この戦術に対しての3バックのリベロシステムというのは実に相性の悪い代物なのですが、ドイツ代表はベッケンバウアー以来の伝統システムを変えることをしなかったために、その大役を担う人物としてマテウスに頼らざるを得なかったというのが真相でした。
しかし、39歳のマテウスに当時の最先端戦術に対処できるほどの能力はもはやなく、EURO2000では一次リーグを最下位で敗退。
ドイツサッカー史上まれにみる大惨敗を喫してしまい、その批判の矛先にたったリベック監督は辞任を余儀なくされ、マテウスもほどなく引退することになります。
この大惨敗の後を受けたルディ・フェラー監督はリベロを使ったシステムからの脱却を目指し、スイーパー型3バックや4バックシステムを採用するようになり、若手の台頭の期間が重なったこともあって、ドイツ伝統の3バックリベロシステムは徐々に採用される回数が減っていくことになるのでした。
この3バックリベロシステムはサッカー界全体でも、一時期ほとんど見なくなりましたが、2010年代になってイタリアやドイツの一部クラブなどで採用され、2012年のEUROではイタリア代表が採用するなど、システムの改良を重ねながら脚光を浴びることも少なくないシステムとなっています。
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