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トルシエの進退を賭けた戦い

2000年において日本代表が採用した3-6-1フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

左図は、2000年6月頃のハッサン2世杯時における日本代表の基本布陣を想定したスターティングメンバーです。

トルシエジャパンは基本的に2トップの試合が多いのですが、この時期は森島を1.5列目に置いた1トップ気味の布陣を敷くこともありました。

トルシエの代名詞「フラット3」は、この時期は松田を真ん中に据えてラインコントロールさせています。

この時期、中盤は中田英のトップ下とボランチの稲本が固定されていた以外は、色んな選手が試されています、左サイドハーフは中村以外にも名波、小野、三浦淳、服部、右サイドハーフですと伊東、望月、名神。ボランチとトップ下の間に位置する、リンクマンとして名波や奥に小野あたりが入ることもありました。

2000年当時の日本代表

監督はフランス人のフィリップ・トルシエ。1998年のフランスW杯後に就任し、地元開催の2002年日韓W杯までにチームの強化と指揮を託され、A代表のみならず五輪代表やWユース代表監督まで兼任させて、大きな権限を持たせていました。

Wユース選手権では準優勝、シドニー五輪もアジア予選を勝ち抜くなど、若手世代では結果を出していましたが、肝心のA代表は1999年は3敗4分で1勝もできず、アジア杯の予選こそ勝ち抜けましたが、その後の中国、韓国相手の親善試合では両試合とも無得点に終わるなど、FWに決定力のないチームゆえ、トルシエの評価はどちらかと言えば低く見られており、6月のハッサン二世杯は、トルシエ続投の査定評価としての大会と位置づけられていました。

初戦の相手は、EURO2000を目前に控えており、本番前の調整試合としてほぼベストメンバーを揃えてきたフランス

この後のEURO2000では優勝を果たすフランス相手に互角に戦い、2−2で引き分けという結果を残します。

結局、PK戦で敗退し、3位決定戦のジャマイカ相手に4−0で圧勝。このハッサン二世杯でのサッカーの内容が素晴らしかったため、トルシエも再評価され、結局、W杯の最後まで指揮をとることになった、いわばトルシエジャパンにとってターニングポイントとも呼べる大会が、このハッサン二世杯でありました。

その後、秋のアジア杯で優勝という結果を残すことで、トルシエ解任論はひとまず沈静化するのでありました。



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