バラバラになった魔法の欠片たち
2006年において、ブラジル代表が採用した4-4-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2006年のブラジル代表のスターティングメンバー想定予想です。ドイツW杯本大会のvsクロアチア戦などのスターティングメンバーになります。
全盛期ほどではないにせよ、高いスピード・シュート技術を裏付けとした抜群の決定力はまだ健在と思われていた、レアル・マドリードの「怪物」ロナウド。
圧倒的なパワーで、敵陣を突破し破壊的なシュートを打ち込む、インテルミラノの「皇帝」アドリアーノ。
溢れんばかりのファンタジーとボールテクニックで観衆を魅了し、前年にバロンドールを獲得、当時世界最高のサッカー選手と言われた、バルセロナのロナウジーニョ
シンプルでスピーディーなプレーの中にも卓越した技術を誇り、チームに縦への意識をもたらし名門クラブで攻撃のタクトを存分に振るう、ACミランのカカ。
俗に言う、魔法の四人衆「カルテット・マジコ」。この四人を中心とした破壊的な攻撃力は、2006年ドイツW杯において、スペック上は他国を圧倒するであろうという高い評判を誇っておりました。
これに加えて、ダブルボランチのエメルソンとゼ・ロベルトは、共に30代で運動量こそ全盛期ほどではないにせよ、攻守のかじ取りとして攻撃陣やサイドバックを縁の下から支えます。
両サイドは、左がロベルト・カルロス、右がカフー。2006年のドイツW杯は、ロベカルが3回目、カフーに至っては4回目のW杯出場となり、長年、ブラジル代表の攻撃的なサイド攻撃に厚みをもたせてきた2人です。
フィジカルに強く積極的でたびたびの攻撃参加も行うルシオと、逆にフィジカル面で課題があるものの間合いを取るのがうまくクレバーなファンがセンターバックのレギュラーで、ドイツW杯でのブラジル代表で全試合フル出場したのはこの2人だけでした。
GKのレギュラーはジーダ。 伝統的にブラジルの泣き所と言われるポジションですが、この時期はジーダ、セニ、ジュリオ・セーザルと三者三様にタイプが違うながらも、名手と言って良い3人がレギュラー争いをしており、その中でも抜群の身体能力をほこったジーダが抜擢されています。
ブラジル伝統のオーソドックスなボックス型中盤で、攻守の役割がハッキリしたシステムです。基本的には個の力が高い攻撃メンバーが敵陣をこじあけるという、やや強引なサッカーをするチームでした。
2006年当時のブラジル代表
監督はブラジル人のカルロス・アルベルト・パレイラ。選手経験はないものの、1960年代からコーチ・監督業を務め、中東の各国代表でW杯出場を果たしたり、ブラジルの名門チームの監督などを経て、1994年にブラジル代表を率いてW杯優勝を成し遂げた監督です。
2002年の日韓W杯優勝後、スコラーリが退任した後を受けて、2度目のブラジル代表監督に就任し、2004年のコパ・アメリカ、2005年のコンフェデレーションズカップを優勝し、ドイツW杯南米予選もやや引き分けが多いながらも1位通過を果たし、大本命としてドイツW杯本戦を迎えます。
注目の的は「カルテット・マジコ」で、その中でも前年のバロンドール獲得者であったロナウジーニョのための大会になるだろうと言われていました。。
グループリーグの組み合わせは、オーストラリア・クロアチア・日本で、この3チームを全く寄せ付けず1位通過。
決勝トーナメント1回戦もガーナを相手に3−0で快勝しますが、ここまでアドリアーノとロナウドの動きが悪く、ロナウジーニョやカカの前に蓋ができているシーンがたびたび見受けられます。
準々決勝はフランス戦。この時のフランスは世代交代に失敗したと言われており、W杯終了後の引退を公言していたジダンをはじめとして、マケレレ、テュラムのように一度は代表引退を表明した選手たちを再招集するなど、下馬評の低いチームとされていました。
この試合、ブラジルはロナウドの1トップにしてロナウジーニョとカカの2シャドー、トップ下にジュニーニョ・ペルナンブカーノを配するなどシステムを弄ってきます。
ところが蓋を開けてみると、マケレレ・テュラム・ヴィエラを中心とした粘り強い守備陣にブラジルの攻撃陣が分断。 ここに来て、全体的に運動量の少ないチームという弱点がもろに露呈され、誰かが孤立してもフォローが足りないなどチームとしての機能が停滞してしまいます。
フランスはマルダーが動きの鈍いカフーの裏を何度も付き、ジダンがキープ力を活かしてボールポゼッションを上げて圧力を増していき、ついに後半12分、セットプレーから待望の先制点。
失点後にアドリアーノやロビーニョを投入し、試合終了間際で疲れが見え始めたフランス守備陣を突破し、立て続けにシュートを放ちましたがバルテズの好セーブもあり、最終的には完封負けで敗退してしまうのでした。
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