ユーゴスラビア最後の輝き
2000年おいて、ユーゴスラビア代表が採用した4-4-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2000年のユーゴスラビア代表のスターティングメンバー想定予想です。 EURO2000のグループリーグ、スペイン戦で確認されたメンバーでもあります。
オーソドックスなボックス中盤の4-4-2で、中盤はパサーとしての能力高いストイコビッチとヨカノビッチが組み立て、豊富な運動量で彼らをサポートするユーゴビッチと、左サイドをドリブルで切り込み正確なクロスをあげるドルロビッチがその展開力を存分に発揮します。
ミヤトビッチとミロシェビッチの2トップは共にポストプレイもできるしストライカーとしての能力も申し分なし。ついでに言えば、控えにはコバチェビッチとケズマンがいるという豪華布陣。
派手な攻撃陣に比べると、守備陣が若干心もとない気がするのは、ユーゴの伝統でしょうか・・・・それでも、ミハイロビッチのロングフィードは攻撃の起点にもなりやすく、ボールを奪ってからの展開力は欧州でも屈指のチームでありました。
2000年当時のユーゴスラビア代表
監督は、セルビア人のヴヤディン・ボシュコヴ。レアル・マドリードやサンプドリアでリーガやセリエを制覇したこともある監督で、旧ユーゴスラビア時代を通じて、ユーゴサッカー史上で最も成功した監督とも言われている人物です。
1991年のクロアチア、スロベニア分離独立に端を発したユーゴスラビア内戦も、1999年にNATOの軍事介入を招き、セルビア・モンテネグロでは連日の空爆にさらされている状態となっていました。
そんな状況下、EURO2000の予選で、ユーゴスラビアはクロアチア、マケドニアといった旧ユーゴ構成国と同組になります。
憤懣やるかたない感情を受けて、ユーゴスラビア、クロアチアにアイルランドを加えた3カ国が予選リーグで3つ巴になり、勝ち点14のユーゴと13のクロアチア、アイルランドという状況で、最終戦はユーゴスラビアvsクロアチアとアイルランドvsマケドニアという劇的な状況を迎えます。
感情をぶつけあった、ユーゴvsクロアチアの試合は両軍あわせて7枚のカードが出される激戦となります。
クロアチアが先制するも、すぐにユーゴが2点を取って逆転。しかし、前半終了間際にサイドバックのミルコビッチが一発レッドカードで退場してしまうと、クロアチアに流れが向いていきます。
後半開始早々にクロアチアが追いつき、更に激しく攻め立てますが、ユーゴも必死に防戦。結局、その後は最後までゴールを割らせず2-2で引き分け。
更に、別会場で行われていたアイルランドーマケドニア戦は、格下のマケドニアが大健闘して1−1の引き分け、この瞬間、ユーゴスラビアのEURO予選突破が決まったのでした。
そして、迎えたEURO2000本大会。グループリーグには、スペイン、ノルウェーに、これまた旧ユーゴ構成国家であったスロベニアが入るという漫画みたいな組み合わせになります。
グループリーグ初戦の相手は、そのスロベニア。旧ユーゴ時代に「ユーゴで最もサッカーが下手な国」と言われていたスロベニアで、戦前は圧倒的にユーゴが優勢と見られていましたが、蓋を開けると、後半12分の時点では何と0−3でスロベニアがリードする展開になります。しかも、ミハイロビッチがレッドカードで退場するという危機的状況。
しかし、ここからユーゴは不振だったコバチェビッチに変わって交代出場したミロシェビッチの活躍で何とか3−3に追いつき、どうにか面目を保つことに成功したのであります。
その後、ノルウェーに勝ち、スペインに負けたものの、グループリーグを2位で通過し、決勝トーナメント進出を決めます。
決勝トーナメント1回戦は、地元オランダにクライファートのハットトリックを含めて1−6で大惨敗。その後、「ユーゴスラビア」は2003年に「セルビア・モンテネグロ」と国家名を変更し、このEURO2000は「ユーゴスラビア代表」として最後のメジャー大会出場となったのでありました。
なお、余談ですが、ミロシェビッチはEURO2000で5得点を挙げて得点王となるのですが、オランダのクライファートも5得点で得点王が2人ということになります。決勝Tのオランダ戦でクライファートに3得点を献上したのがなければ・・・あるいは、そのオランダ戦のロスタイムで6−0からミロシェビッチが焼け石に水的なゴールをあげなければ・・・そんな劇的要因があったのも、「東欧のブラジル」たるユーゴスラビアの面目であったかもしれません。
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