二強時代を打破せよ
2003年シーズンにおいて、Jリーグの横浜Fマリノスが採用した4-4-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、想定予想メンバーです。
堅守速攻型の布陣ですが、攻撃は主に右サイドを中心に組み立てられます。 左サイドから攻撃するときは奥が中寄りにポジションをとるので、基本ドゥトラの攻め上がりを待つ事になります。
中澤を中心とした堅守を活かし、堅実な戦い方をするのが特徴です。
得点源は久保とマルキーニョスの2トップ。久保がフィジカルを前面的に押し出すタイプである一方、マルキーニョスはアキレス腱を痛めたこともあり、スピードよりも技術で勝負するタイプの万能ストライカーです。 なお、この年は坂田も準レギュラーとして24試合出場で8Gという記録を残していました。
右サイドの佐藤由は、スピードよりもクロスの正確さがウリのウインガーで彼のラストパスが攻撃のキモとなります。 左サイドからの攻撃は主にサイドバックのドゥトラが担当し、中寄りに構えた奥がリンクマンとして攻守の要となります。
那須はシーズン前にセンターバックから急遽DHにコンバートされましたが、このコンバートがハマってアンカーとしてレギュラーの座をつかみました。 ダブルボランチの遠藤は運動量が豊富で攻守にピッチを駆け巡り、時に前線への飛び出しからミドルシュートを放つなどの働きをしています。
右サイドは本来、日本代表の波戸がレギュラーでしたが大けがで離脱。後半は韓国に戻っていた柳を急遽補強しました。左サイドのドゥトラが攻撃的なため、柳はバランスを重視したプレーをしています。
センターバックはどちらも対人に強い中澤と松田の日本代表コンビ。
この年のゴールキーパーはレギュラーが固定されず、榎本達と榎本哲がそれぞれシーズン半分づつくらい先発しています。ともに不安定なところがあり、榎本達はハイボール処理に強いものの足元の技術が心もとなく、榎本哲は反射神経こそ優れていますが判断力が悪いと一長一短な塩梅。
2003年当時の横浜Fマリノス
監督は岡田武史。1998年に日本代表監督としてワールドカップ初出場を果たした後、コンサドーレ札幌をJ1昇格に導くなどの活躍もあり、2002年時点ではトルシエ監督の後任として日本代表監督再就任の噂もあった名指導者です。(実際、2008年に再就任しています)
結局、2003年から2006年まで横浜Fマリノスを率いる事になります。
この年のマリノスは、久保やマルキーニョスや佐藤由など積極的な補強を進め選手層を厚くして優勝候補にも挙げられていましたが、シーズン前から怪我人が多発し、上野、河合、遠藤彰、永山らがいるはずのボランチなどはシーズン前の段階で遠藤彰しか残っておらず、センターバックの那須を急遽、ボランチにコンバートして使う状況でした。
しかしながら、そのコンバートした那須が覚醒。アンカーとして高い守備力を発揮し、中澤、松田の代表コンビらと共に堅守を披露しました。
セカンドステージ制だった2003年シーズンでしたが、1stシーズンは文句なしの優勝。
2ndステージは、最終節の段階で首位磐田と勝ち点3差の3位でしたが、直接対決で勝利し、2位鹿島がロスタイムで引き分けに追いつかれるという劇的な展開で逆転優勝し、年間優勝も確定。 これにより、1996年から2002年まで年間優勝を独占してきた鹿島と磐田の二強以外のチームが久しぶりに優勝することになりました。
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