サッカー界のオイルショック(ザイド・ファタラじゃないよ・・・)
2004-2005年シーズンにおいて、イングランドのチェルシーFCが採用した4-3-3フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2004年におけるチェルシーFCのスターティングメンバー想定予想です。
FWはドロクバではなくて、グジョンセン。Webサカで、ドロクバがモデルのディアラがあまり活躍してくれないというボヤキを見たことがあるのですが、どうもチェルシー2004-2005ではCFWのモデルではないのかも。
実際に、このシーズンのドロクバは怪我もあり、思ったほど活躍しておらず、グジョンセンがチーム得点王でケジュマンとあわせた3人のCFWで最も多く試合に出てました。
両ウイングは、シーズン当初は左にロッベン、右にダフという布陣でしたが、ロッベンのスペランカーによりシーズン中には左にダフがコンバートされ、右ウイングには本来ウイングではなかったがジョー・コールを起用。この布陣がズバリとはまることになります。
なお、チャレンジマッチでは、シーズン当初の左ロッベン、右ダフの布陣が採用されているので、想定予想もそちらに合わせております。
中盤には、攻撃の要にランパード、守備の要にマケレレが構えてます。中盤のもう一人はシーズン当初はジョー・コールが入ってましたが、ロッベン離脱後の入れ替えでチアゴが使われるようになりました。
DFラインではJ・テリーが不動で、その他の3人も大半の試合に出てますが、他にLSBにウェイン・ブリッジ、RSBにジェレミ・ヌジタップ、CBにグレン・ジョンソンらが控えていました。
2004-2005シーズン当時のチェルシーFC
チェルシーFCというチームは、以前から積極的に外国人選手を高額で移籍させて起用するという、当時のイングランドのクラブチームには珍しい選手登用をしていたチームでした。
その一方で、それなりの成績は毎年残すものの、高額の補強に見合ったほどの収入がなく、1990年代に高額スポンサーであった人物を飛行機事故でなくして以降は、急激に資金繰りが悪化していったのです。
その結果として、2003年にロシアの大富豪ロマン・アブラモビッチにチームを売却することになります。 これによって、チェルシーは負債を帳消しにしたうえで、多額の選手補強資金が入ることになり、監督から選手まで高額の人材を次々にスカウトしてくるビッグクラブへと変貌していきました。
今ではプレミアリーグのクラブチームに外国資本が入ることは珍しいことではありませんが、当時のイギリス国内では、金で魂を売ったかの論調が多くみうけられたものです。
そうした流れを受け、2004年にFCポルトを率いて欧州CLを制したジョゼ・モウリーニョがチェルシーの監督として引き抜かれてきます。 モウリーニョは同時にFCポルトの守備の要であったカルバーリョやフェレイラ及び、ポルトガル人のチアゴ・メンデスや、ドロクバやケジュマンといったスピードあるFWを加入させることで、超強力なカウンターアタックを実現させることに成功しました。
カウンターを基本とし、かなり高い守備意識とバランスの良い速攻を武器に、チーム創設100周年の記念のシーズンで29勝1敗8分という前年に無敗優勝したアーセナルを勝ち点でしのぐほどの成績を残し、圧倒的な強さで優勝。FA杯との二冠を獲得するにいたるのでした。
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