世界が見えたvsフランス戦
2001年において日本代表が採用した3-5-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2001年に準優勝したコンフェデレーション杯の基本メンバーから、LWHを中村にCBを宮本に変更した布陣です。これを、Webサカの想定メンバーと予想しました。
2001年頃の「フラット3」の左右は中田浩と松田で固定でしたが、真ん中は2000年の終わりごろからコンフェデ杯のあたりまでは森岡隆三がラインコントロールを任されてました。宮本は、森岡が怪我で欠場するようになった2001年の終わりごろに急遽抜擢されたので、当時、筆者は不安を覚えたものでした。一応、ゲーム上の想定予想は宮本としてあります。
ダブルボランチは、名波がこの時期大怪我をしてしまい、稲本、戸田でほぼ固定化されます。たまに明神が入るくらい。
サイドハーフの右はW杯直前頃には明神にレギュラー奪われてしまいますが、この時期は波戸でほぼ固定。一方、左は全く固定されていなく、中村、小野のような司令塔タイプ、服部や三浦淳のようなサイドの守備に重点を置くタイプとで、使い分けられていた感がありますが、ゲームでは小田の活躍度がかなり高い一方、大野は今一つとなっておりますので、中村想定としています。
FWもやっぱり、固定できてません。「サン・ドニの悲劇」は1トップでしたが、基本的には2トップで、鈴木・西沢・高原・柳沢に、この時期はまだゴン中山も招集されていたりしました。
地元でのW杯を1年前に控えて、最後の調整段階といった感じで、決め手がないポジションは色んな選手を使う一方で、固定できる場所はきっちり固めていたということになります。
2001年当時の日本代表
監督はフランス人のフィリップ・トルシエ。本来なら、同じフランス人でアーセナルの監督になる前は名古屋グランパスで指揮をとっており、比較的日本サッカーに理解があると思われていたアーセン・ベンゲルを招聘したのですが、ベンゲルには断られて、交渉過程で窓口となったフランス協会から、トルシエを推薦され、ベンゲルも太鼓判を与えてくれたことから白羽の矢が立ったと言われています。
フランスの下部リーグのクラブチームでキャリアを積んだあと、アフリカに渡り、アフリカのクラブチームで実績をあげ、コートジボワールなどのアフリカ諸国で代表監督を務め、小国ブルキナファソの代表監督としてネイションズカップをベスト4に導き、「白い呪術師」の異名を与えられておりました。
そのトルシエ監督が1998年に日本代表監督に就任されてから4年目。フラット3のラインコントロールの不安定さやFWの決定力不足から一時は解任論もあがりましたが、2000年のハッサン二世杯で好内容のサッカーを見せ、秋のアジアカップで優勝という結果を残したため、そういった声も、ひとまずは沈静化されつつありました・・・・・・2001年3月にフランス戦を行う前までは。
後に言うところの「サン・ドニの悲劇」というやつで、この試合、今まで試したことのない1トップトリプルボランチを採用し、0-5で見事に粉砕されてしまいます。
この後、スペイン戦でも1トップトリプルボランチを採用し、0−1での敗戦とスコア上は接戦の結果でしたが、内容は川口に神が降臨していただけという試合内容でしかありませんでした。
これにより、また、世論ではトルシエ解任論が取りざたされることになりました。
そして、6月のコンフェデレーション杯で準優勝という結果を残し、またその声も沈静化されるのであります。
コンフェデ杯の決勝の相手は3月に惨敗したばかりのフランスでしたが、今回は0−1での敗戦。 お互いがベストメンバーではなかった(中田英はローマのスクデットがかかった試合を優先し、中村、名波は怪我で欠場)のですが、それでも良い試合内容であったことで、選手層の底上げがされてるという期待が持てる試合を見せてくれました。
その後は、好調を持続したまま、いよいよ2002年日韓W杯へと向かうのでありました。
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