マイティ・アヤックス
1994-1995シーズンにおいて、オランダのアヤックス・アムステルダムが採用した3-4-3フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、チャレンジマッチで戦うことができたSCアムステルダムの設定を、現実モデル選手で当てはめたものです。
なお、左図でCFWをR・デ・ブールにすると、1995年の欧州CL決勝vsACミランのスターティングメンバーになります。
図のメンバー以外ですと、CBではボハルデ、RSHにR・デ・ブール、CFWにカヌなどが使われていましたが、3−4−3のシステム自体は、ほとんど変化ありません。
アヤックス伝統の3トップで、センターフォワードは点取り屋のクライファート。この年デビューの新人でしたが、いきなり18ゴール(実はこれがキャリアハイ)を上げたり、CL決勝戦でも決勝ゴールを決めるなどの大活躍を見せます。 左右のウイングはともにスピードとテクニックを兼ね備えて敵陣深くまで切り込むかと思えば、中に入り込みゴールを狙うという万能タイプの2人です。
ひし形中盤のトップ下はリトマネン。3トップの司令塔・・・ではなく、1.5列目と言えるほどのゴール前への飛び込みを得意としており、前年の93−94シーズンでは26得点で得点王にも輝いています。
このチームのゲームメイカーは右サイドハーフのシードルフと、中盤の底にいる大御所ライカールトが担います。その二人をサポートするのが、ダイナモであるダーヴィッツ。ポジションこそ左サイドですが、実際はピッチ中盤を縦横無尽に駆け回りいろんな場所に顔を出してきます。
3バックは、ポゼッションサッカーらしくライカールトと連携しやすいようにラインを高めにとっています。 そのラインコントロールをするのが、ベテランのブリント。左右には、それぞれのサイドの裏を広くカバーできるF・デブールとレイジハー。
最後の砦にファン・デル・サール。まだまだキャリアの序盤ですが、この頃から欧州屈指のGKとしての名声を確立することになります。
1994-1995シーズン当時のアヤックス
率いる監督は、オランダの名将ファン・ハール。1991年にアシスタントコーチから監督に昇格して4年目のシーズンになります。1991-1992年にUEFAカップを、1993-1994年シーズンにはエールディビジで優勝しており、連覇のかかるシーズンでもありました。
大黒柱であるライカールトを中心に、ベテラン・若手がうまくかみあい、終わってみれば、エールディビジを27勝7分0敗で無敗優勝、更に欧州CLも負け知らずのまま制覇するなど、90年代最強チームとも言われるほどの強さを発揮したシーズンでした。
ボスマン判決の悲劇
このアヤックスが無敗でリーグとCLを制覇する偉業を成し遂げた1995年に、欧州サッカー界の根底を揺るがす一つの判決が、欧州司法裁判所で出されました。それが世に名高い「ボスマン判決」
かいつまんで言えば、サッカー選手は契約期間がすぎたら所属クラブは他のクラブチームに入団することを妨げることができないということが法的に保護される=契約が切れたら移籍金0で自由に移籍できるようになったのです。
その結果、金持ちクラブは、契約が切れた選手を高額な年棒で引き抜きやすい土台ができてしまい、財政的に中堅クラスのクラブでは優秀な選手を引き止めるのが難しくなっていきます。
その最大の被害者と言えるのが、この頃のアヤックスかもしれません。この図にあるメンバーの内、ライカールトやブリントはその時点で高年齢でもあったため、引退という形でアヤックスでキャリアを終えますが、若い選手のほとんど全員が1999年までにビッグクラブにひきぬかれてしまい、欧州ビッグクラブの草刈場と化してしまいます。
オランダ国内では強豪クラブとしての地位を保ち続けていますが、欧州の国際大会では翌シーズンの欧州CLで準優勝して以降、過去の名声に比してさほど好成績を上げられなくなってしまっています。
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