チトーなら・・・チトーなら何とかしてくれた!
1994年まで旧ユーゴスラビアが分離しなかったと仮定した場合のユーゴスラビア代表を想定し、Webサカの運営が設定した3-5-2フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、もしも、1994年のアメリカW杯の時点でユーゴスラビアからクロアチアやスロベニアなどが独立しない、もしくは統一ユーゴスラビア代表チームを想定したスターティングメンバーになります。
この手の、1994年当時各国リーグで活躍していた旧ユーゴ出身選手で構成するチームを考察してみるサッカーファンは多く、グーグルでそれらしいサイトを探せばいくつか出てくるかと思われます。
当然、各人の好みに従ったチームになるので、Webサカのフォーメーション説明や、ゲーム中に活躍するタイプや能力などをかんがみた上で、現実モデルが何であったかを判断することにしています。
まず、2トップ。左はキーポジ「天才ストライカー」から、「天才」サビチェビッチで問題ないでしょう。 問題は右FW。当時のFWを考えると候補は、パンチェフ、ミヤトビッチ、ボクシッチ、スーケルと、どれも一流と言ってよい選手ばかりですが、ゲーム中能力がS&Pであろうと思われることから、パンチェフを想定とみています。(※もし、Webサカでこの4人を選手として扱うならば、パンチェフがS+P、ミヤトビッチ=ミリュコビッチでT+S、ボクシッチはP+S、スーケルはP+Tということになるんじゃないかなあ・・・)
中盤のファンタジスタ(ROH)は日本ではおなじみ、ストイコビッチでほぼ確定。
ゲームメイカー(CH)は、最初はプロシネツキも考えていたのですが、献身的な守備も行うとなると、やはりボバンしかいなさそうです。もっとも、ここでプロシネツキを使わないとなると、このメンバーではプロシネツキがスタメン落ちしてしまうということになるのですが、「サッカー雑誌等にある自分が考えるフォーメーションといった感じで、好き勝手に配置したようなフォーメーションになってしまった」とある割には、バランスを重視した選抜をしてるのかもしれません。
パサー(DH)には、ヨカノビッチを入れました。フォメ説明通りDHでパサーとなると、ユーゴビッチはパサーとは言いがたいので、ボバンかヨカノビッチくらいしか該当者が思いつかず、ボバンをCHで使うならヨカノビッチになるのかなと。
両WBの左はヤルニで確定しているといってよいでしょう。 問題は右のWB。一応、ユーゴビッチを想定しています。正直、1994年ユーゴを語る上で、プロシネツキやユーゴビッチをはずして考えるのはちょっとなあと思うところもあり、プロシネツキをはずしているなら、ポリバレントの高いユーゴビッチしかいないかなと。右のウイングハーフとしてスタニッチという手もありそうですが、このゲームでは下がり目のウイングバックっぽいので、スタニッチには向かないポジションかと思います。
CBの3人はこれでよいのかなと。真ん中はリベロでジュキッチを採用。正直、この面子でリベロとか大丈夫なんだろうかと思わないでもないですが、まぁ、そこらへんは夢チームであるからということなのでしょう。
ユーゴスラビアという国家について
そもそも、ユーゴスラビアは何故、分離することになってしまったのか。
もともと、ユーゴスラビアという国は第一次世界大戦時に、オーストリア・ハンガリー帝国内にいたクロアチア、スロベニア、セルビア地方にいたスラブ民族たちが、オーストリア・ハンガリー帝国からの独立を目指して手を組んだ共同体国家「セルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国」を母体としています。
この国は、セルビア人勢力が政治の中枢を握ることで、セルビア人偏重の政治方針を採用することになり、セルビア人以外の民族の不満を募らせていくことになり、これが後の分裂への火種となります。
その後、中央集権による強権から国内問題を抑えるために国王の独裁という政治形態に移行することで「ユーゴスラビア王国」と名前を変えます。
第二次世界大戦時にドイツの侵略を受け、王国は瓦解。この時点で、一度、各地域ごとに国家が分離することになります。
戦後、その分離したユーゴスラビアを再び統一させたのがパルチザンを率いたチトー将軍です。
チトーのカリスマと政治力によって、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」として「ユーゴスラビア連邦共和国」は長らくの平和を享受してきましたが、そのバランスも1980年にチトーが死去することで、一気に崩壊へと突き進みます。
1991年に、スロベニアとクロアチアが分離独立を宣言。独立宣言しなかった自治区、共和国でも独立の気運が高まり、ユーゴスラビアの中心勢力であったセルビアとの間に、俗にいうユーゴスラビア内戦が勃発してしまいます。
その結果、欧米諸国はユーゴスラビアに対して、様々な政治・経済面での制裁を断行し、その波はスポーツ界にも波及。1992年の欧州選手権で予選を突破し、開催地のスウェーデンまで空路で向かったユーゴスラビア代表(セルビア・モンテネグロ人と一部のマケドニア人のチーム)は、通関を通過することができずに、ユーゴスラビアに追い返されるという悲劇に巻き込まれてしまうのでありました。
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