シャルケ10-11
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監督解任されてもカップ戦は強かった

2010-11年シーズンのドイツのシャルケ04が採用した4-4-2フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

左図は、2010-11年シーズンのシャルケ04のスターティングメンバー想定です。ゲーム内のワールドツアーのメンバーを参照しています。(このシーズンの欧州CLではこのスタメンを組んだ試合はないです)

マガトが鍛えたチームらしく、運動量にものを言わせた強力なプレッシングから高い位置でボールを奪い、ショートカウンターからの速攻を武器としたチームです。プレッシングが不発でも最終ラインの安定感は高く基本的には守り抜くチームとなります。

得点源はセカンドトップのラウール。レアルから移籍してきた大ベテランですが、相変わらずの得点感覚は健在。
彼と相棒を組むのはポストプレイを得意とするタイプでフンテラールかエドゥのどちらかが入ります。

中盤はかなり流動的で、レギュラーと言えるのは右の快速ウインガー・ファルファンくらい。ゲームメイカータイプのフラド、ドラクスラー、バウムヨハン、ラキティッチ。守備的なクルーゲ、ジョーンズ、モリッツ。また、センターバックもできるアンカータイプのマティプやパパドプーロスらがいます。
ゲームで配置されているフラドはゲームメイクもできるしウイングもできるという万能タイプ。テクニシャンのバウムヨハンとアンカータイプのパパドプーロスの両名は試合出場数はそんなに多くなかったですが、それぞれの役割を果たします。

ディフェンスラインはメツェルダーとヘーヴェデスという大型のセンターバック2人と右サイドバックの内田は不動ですが、左は流動的で欧州CLではフィジカルに長けたハンス・サルペイが毎試合出場してましたが、リーグ戦ではシュミッツやエスクデロなども使われています。

ゴールキーパーは若き日のノイアー。ラウール加入前はこのチーム最大のスターと目されており、このシーズンから主将を務めています(ただし、翌シーズンにバイエルンに引き抜かれますが)。

2010-11年シーズン当時のシャルケ04

このシーズンのシャルケはリーグ戦が不調で、当初はマガトが監督を務めていましたが3月中旬のリーグ戦26節で解任され、1試合コーチが代行監督をした後、ラングニックがシーズン終了まで監督を務める事になります。

最初の監督はドイツ人のフェリックス・マガト。選手としてドイツ代表に選ばれたり、クラブでは欧州CCも獲得するなど西ドイツを代表するプレーメイカーとして活躍していました。
引退後にドイツの複数のクラブで監督を歴任。バイエルン・ミュンヘンで優勝したり、2009年シーズンには弱小クラブとみられていたヴォルフスブルグを優勝させるなどドイツ屈指の名将として知られるようになります。

シャルケにはそのヴォルフスブルグを優勝させた翌シーズンから監督に就任し、リーグ戦で2位の好成績を上げました。
そして、迎えた翌シーズン、前年から15人を放出し14人を加入させるという大胆な補強を敢行。新加入メンバーの中にはレアルマドリードで一時代を築いたラウールや、日本の内田なども含まれています。

この補強はシーズン開幕からリーグ戦4連敗、欧州CLのグループステージの初戦も落とすという最悪の結果につながってしまい、このころくらいから監督とチームとの間に確執のようなものが生れてしまいます。

その後、少しづつチームは立て直されて行き2011年3月までに、欧州CLのグループステージは1位通過、DBFボカールはバイエルン・ミュンヘンを破って決勝進出、リーグの順位も10位まで上がってきましたが、リーグの順位がなかなか上がってこない上に、主将のノイアーやオーナー、ファンなどからの非難もあり、欧州CLの決勝トーナメント1回戦でバレンシアを2戦合計4−2で下した5日後に解任されてしまいます。

マガトが連れてきたスタッフで唯一シャルケに残る事になったアイヒコーンコーチの代行監督を経て、リーグ戦27節目からドイツ人のラルフ・ラングニックが監督に就任します。

ラングニック監督は選手としてはプロになれなかったものの、3部のチームを2部に2部のチームを1部に昇格させるなどしてステップアップを果たし、2004-05シーズンに1度シャルケも率いたことがありました。

就任直後の27節目こそやぶれたものの、欧州CLの準々決勝インテル・ミラノのホーム&アウェイを含めて4連勝。これでたてなおったかに見えましたが、その後、欧州CLの準決勝マンチェスター・ユナイテッド戦を含めて6連敗してしまいます。

シーズン最後のDBFボカール決勝は5−0で圧勝で優勝。リーグ戦こそ14位に終わってしまいましたが、欧州CLはチーム史上最高のベスト4進出、国内カップ戦で優勝と何ともちぐはぐなシーズンとなってしまいました。

当時の新聞の評価として「マガトが連れてきた様々な国籍の選手たちは、普段からコミュニケーションがうまく取れず、CLのような大きな試合には一丸となれたものの、そうでない時はチームはバラバラだった」とされています。



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