英雄の帰還と終焉
2006年のドイツワールドカップでフランス代表が採用した4-2-3-1フォーメーションについての想定予想です。
モデルの想定・その他のケース
左図は、2006年のドイツW杯におけるフランス代表のスターティングメンバー想定です。決勝戦の対イタリア戦などのメンバーになります。
一度は代表引退した黄金時代のレギュラーたちが自国の危機に代表復帰。そういう経緯もあってベテランが多いチームですが、将軍ジダンを中心にシャンパンサッカーは健在でした。
パスサッカーの代名詞でもあるシャンパンサッカーとはいえ、ボールの預け先はトップ下のジダンになります。ここから、サイドに展開したり直接持ち込んでアンリにラストパスを供給するなど、過去数年同様に彼なくしてフランスの攻撃は機能しないというレベルです。
アタッカーは、ワントップのアンリ、左サイドのマルダーに、この時期はまだ右サイドでのプレーに文句を言わず献身的だったリベリーで3人ともスピードに優れたタイプ。 アタッカーの補佐役は守備能力に特化したマケレレと、守備能力はもちろん足元の技術も高くジダンとのホットラインを形成していたヴィエラです。
センターバックはギャラスとテュラム。ともにサイドバックもできるほど身体能力が高いですが、身長のわりには空中戦、対人戦が強いギャラスに、ベテランとなり間合いをとるのがうまくなったテュラムとで役割は分担されます。
右サイドバックのサニョルは巧さと速さをあわせもつ典型的なサイドの選手。一方、左はサイドバックにしては大柄で対人に強くセンターバックもできるアビダルが務めています。
ゴールキーパーは長年フランス代表のゴールマウスを守り続けてきたベテランのバルテズ。2005年に主審に唾を吐くなどの問題行動で代表から外されていましたが、謹慎から復帰後にクーペとのレギュラー争いに勝利し正GKに返り咲いていました。
2006年当時のフランス代表
監督はフランス人のレイモン・ドメネク。現役最終盤に当時所属チームの選手兼任監督を務めるなど、早くから指導者経験を積み、黄金期を迎える前のリヨン、フランス年代別代表の監督を経て、2004年にフランス代表監督に就任します。
これまでフランス代表の栄光を支えてきたジダンがEURO2004で代表引退したことで、「脱ジダン」を目指してチーム作りを進めていきますが難航。 また、有力選手と衝突することが多く、アーセナルでキャリアの絶頂期となっていたピレスを招集しなかった時は「占星術の結果、さそり座は2人いない方が良いと出たので彼を外した」と言い出し(一説には仲が悪いから外したというのを言いたくないので、適当な理由をつけたとも)、必ずしもベストとは呼べなさそうなメンバーを招集して試すということを続けています。
不安のうちに始まった2006ワールドカップ欧州予選。スイス、イスラエル、アイルランド、キプロス、フェロー諸島と明らかに格下揃いと同組になりましたが、最初の6戦で2勝4分で4位と大苦戦。
守備は悪くないものの攻撃のバリエーションが少なく負けないけど勝てないという試合が続きます。
結局、この局面を打開するために代表引退宣言していたジダンにテュラムとマケレレという3人のEURO、W杯優勝メンバーを復帰させることになります。
この決断は功を奏して、世代交代は先送りになりながらも欧州予選は辛うじて1位通過に成功。
W杯本戦では、予選でも同組だったスイスに韓国、トーゴとかなり恵まれた組になりますが、それでも韓国に引き分けるなど1勝2分で辛うじての2位通過します。
決勝トーナメントの組み合わせ的にこのまま早期に敗退するだろうと思われましたが、ジダンの花道を飾ろうと選手たちが団結。 ジダンの存在感、ポストプレー、ラストパスだけでなく、テュラムを中心とした強固な守備陣に、数少ない抜擢された若手のリベリーの活躍などもあり、1回戦スペイン戦は3−1、準々決勝ブラジル戦を1−0、準決勝ポルトガル戦も1−0と勝ち進み、下馬評を覆しての決勝進出を果たします。
決勝のイタリア戦では世界中に衝撃を与える後味悪い結末が待ち構えていましたが、良くも悪くも2006年ドイツワールドカップは「英雄ジダン最後の戦い」として記憶に残る大会となるのでした。
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