アルゼンチン1993
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ゲット!ゴール!バティ!

1993年のコパ・アメリカにおいてアルゼンチン代表が採用した4-3-1-2フォーメーションについての想定予想です。

モデルの想定・その他のケース

左図は、1993年のコパ・アメリカ・エクアドル大会決勝戦におけるアルゼンチン代表のスターティングメンバーです。

コカイン使用疑惑などもあり、コンディションを崩していたマラドーナからいかに脱却できるかがテーマになっていた時期のアルゼンチン代表です。
バティストゥータ、シメオネ、レドンドなど若手の起用を進めて一定の成果を収めていました。

2トップは若きエースストライカー・バティストゥータと後年、横浜Fマリノスにも所属するアコスタ。バティストゥータがパワフルなシュートを放ち、アコスタはDFラインの裏へ抜け出すプレーを得意としていました。

後年ともに横浜Fマリノスへ移籍するなどアコスタと4つのクラブでチームメイトとなるゴロシートがトップ下に入ります。キングタイプのパサーですが、ゲームメイクはどちらかと言えば後ろの2人が担当します。

いまで言うところのインナーハーフの2人レドンドとシメオネが中盤の組み立てを担います。シメオネは守備的ミッドフィルダーであるサパタと共に守備面でも激しく動き回ります。

センターバックは南米のチームらしく、ともに対人、空中戦が強いルジェリとボレッリ。
サイドバックはともにやや前がかりなタイプで右にキレのあるドリブルをするバスアルド、左はパワフルなアルタミラーノという布陣です。

GKはPKストッパーとして名をはせたゴイコチュアで、1993年のコパ・アメリカではMVPに輝く活躍をしました。

1993年当時のアルゼンチン代表

監督はアルゼンチン人のアルフィオ・バシーレ。主にアルゼンチンの中堅クラブの指導歴が豊富な監督で、アルゼンチン代表監督も2回務めています。最初の代表監督就任は1991年で、コパ・アメリカ1991やキング・ファド・カップなどのタイトルを獲得しています。

上述した通り、それまでアルゼンチン代表と言えばマラドーナのチームでしたが、このころは薬物使用疑惑などもありイタリアサッカー界を追放され、コンディション不良の状態が続いていました。
そのため、バシーレ監督はマラドーナ抜きのチーム編成を行い、そこで抜擢されたのが、バティストゥータであり、マラドーナの次の背番号10番であるシメオネなどでした。

シメオネはいわゆる背番号10番というタイプではないのですが、攻守両面に中盤を走り回りながら、時に激しく時にクレバーなプレーを随所で見せてくれます。

また、バティストゥータというパワフルシューターは、1991年、1993年のコパ・アメリカで大活躍し、その後長らくアルゼンチン代表のエースストライカーとして君臨することになります。

1993年のコパ・アメリカは1991年大会から連覇がかかる大会でした。

グループステージでバルデラマ率いるコロンビアやウーゴ・サンチェスのいるメキシコ代表と同組になり、かろうじて2位通過。
決勝トーナメントも1回戦のブラジル、準決勝のコロンビア相手にPK戦で何とか勝ち上がり(GKのゴイコチュアがMVPになったのがこの2試合での活躍から)と苦戦続きでしたが、決勝戦はメキシコ相手にバティストゥータが豪快な2ゴールを決めて見事にコパ・アメリカ連覇を果たすのでした。

ちなみに余談ですが、この直後のW杯南米予選で予選敗退の危機に陥り、結局、マラドーナを呼び戻す事になります。
実際、彼の活躍でワールドカップ出場を果たすことになりますが、本大会で薬物検査で陽性反応が出て即刻大会追放。この後、マラドーナが選手として代表に招集されることは無くなるのでした。



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