ビアンコネーロ1995-1996
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「真の」ヨーロッパ制覇

1995-1996シーズンにおいて、イタリアのユベントスFCが採用した4-3-3フォーメーションについての想定予想です。

なお、ゲーム中フォーメーション表記である「ビアンコネーロ」とは、ユニフォームが「白(ビアンコ)黒(ネロ)」であることから呼ばれている、イタリアリーグのユベントスFCの愛称であります。

モデルの想定・その他のケース

左図は、1995-96年シーズンのUEFAチャンピォンズリーグ決勝vsアヤックス戦で確認されているユベントスのスターティングメンバーになります。

積極的にプレスをかけて守備から入り、ボールを奪ったら即座に前線に放り込み、アタッカー3人の個の力で得点を取りに行くという、実にセリエAのチームらしいシンプルながら堅実なサッカーをするチームでした。

攻撃は、前年に移籍したロベルト・バッジョの後継者として注目をあびていたファンタジスタにして、後のユベントスの「バンディエラ」デル・ピエロ。このシーズンはセリエAでは6ゴールどまりながら、欧州CLでも6ゴールを挙げ、得点王に輝いています。

これまたイタリアのCFWらしい、パワフルナ点取り屋タイプのヴィアッリとラヴァネッリもあわせた3人が、このチームの得点源。

中盤はボール奪取に優れ、かつ展開力を兼ね備えたタイプを揃え、コンテ、デシャン、パウロ・ソウザ、ディ・リービオらが中心に使われ、更にはユーゴビッチやタッキナルディといった名手たちが控えにいました。

DFは4バックで、リッピ監督が就任条件に出してナポリから共に引き抜いてきたフェラーラを中心に、センターバックはヴィエルコウッド、カッレーラ、右サイドバックのトリチェッリ、左サイドバックのペッソットと、みなフィジカルに長けポジショニングがうまいという似たようなタイプで、意思統一がハッキリとしており、堅実な守備ブロックを構成していました。

GKには、反射神経を武器に安定感あるセービングを披露していたペルッツィが、最後の砦を守ります。

1995-1996シーズン当時のユベントスFC

監督はイタリア人のマルチェロ・リッピ。長らく、セリエの中堅クラブの監督を務めており、マラドーナ引退後に低迷期に入りかけたナポリの順位を押し上げた実績から、8年間スクデットから遠ざかっていたユヴェントスの監督に抜擢されたのでした。

就任1年目の1994-95シーズンは、絶対的なエースであったロベルト・バッジョが調子を崩したものの、デル・ピエロを抜擢することで、チームをうまくコントロールし、8年ぶりのスクデット獲得といきなり期待に応えます。

そして、迎えた1995-96シーズン。シーズン前に契約問題がこじれて、ロベルト・バッジョを放出することになりますが、前年に活躍したデル・ピエロが穴を埋めることが期待されて、その他のメンバーも大きな変動はなく(コーラーが放出されていますが、前年から既に出場数が激減していたので影響は少ないとみられていた)、スクデットのもう一方の有力候補であったACミランも「グランデ・ミラン」に陰りが見え始め、デル・ピエロが活躍できればスクデット連覇も十分ありえるとみられていました。

が、ふたを開けてみると、ミランが堅実に勝ち星を積み重ねていくのに対して、ユベントスは冬場、ミランに1−2で負けた後ラツィオ、ウディネーゼ、サンプドリアにも負けるとなどの取りこぼしをするなど不安定な戦いぶり。
当初は、バッジョのようにトップ下で使われていたデル・ピエロが今一つフィットしきれなかったのが原因でした。

そのため、リッピはシーズン後半から、4−3−1−2のシステムを4−3−3に変更し、トップ下ではなく左寄りの1.5列目にデルピエロを配置するようにしたところ、これが功を奏します。

4〜5位をうろついていたユベントスは、後半勝ち点を積み重ねてミランを急追しますが、時すでに遅く、最終的にはリーグ戦2位に終わります。

一方で、前年のスクデット獲得により出場権を手にした欧州CLは、GLを首位で通過すると、決勝Tの準々決勝でレアル・マドリード、準決勝はナントを相手に、初戦のアウェイを1点差で落とすもホームで2点差つけてH&Aで逆転勝利を続けて勢いに乗った形で決勝に駒を勧めます。

決勝の相手は、前年の欧州CL王者アヤックス。
ボスマン判決が1995年12月に出されたため、この翌シーズンから主力が大量に引き抜かれていく事になるアヤックスですが、このシーズンはまだ、ライカールト引退、シードルフ移籍が目立つ程度で、前年に引き続き圧倒的な強さで欧州CLを勝ち上がってきました。

試合は攻めるアヤックスにカウンターで対抗するユベントスという図式で、前半に1点を取り合った後は膠着状態に。
結局、最後まで両者ともに決勝点が入らず、最後はPK戦でユベントスが勝利することになりました。

ユベントスは、公式的には欧州CL2回目の制覇となったのでしたが、前回の初優勝は11年前「ヘイゼルの悲劇」
加害者的立場になってしまったリバプールが、敢えてユベントスに勝ちを譲ったかのような後味悪い試合でもあったため、95-96シーズンの優勝は、ビアンコネーリにとっても心の底から喜べる欧州CL優勝であったと言えましょう。



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