背番号.
  背番号の特徴:代表的な選手を何名か(主にWebサカにモデルがいる選手)

 ちょっとしたコラムを書いてます。
 ネットとかで集めた情報なので、全てが正しいとは限らないかもしれません。
 その点は、あらかじめご了承ください。

 なお、Webサカ関連で特定のモデル選手の背番号を確認したい時は、「Webサカ(PC版)・モデル選手背番号対応表」を参照してください。

 特定のポジションと背番号の関連などについては、じっくりこのコラムを読んでもらうしかありませんので、その点につきましてもご了承ください。

01.
  特殊:ロジェリオ・セニ

 0や0から始まる数字を背番号に許すサッカーのプロリーグや大きな大会は少ないのですが、ブラジル全国選手権は数少ない例外です。

 サンパウロFCで長らくゴールマウスを守りつつ、PKやFKを中心に公式戦100ゴール以上を上げてきたセニがこの背番号。
 何でこのような特殊数字を付けているのかと問えば、エースナンバー「10」を裏返しにしたとのこと。

1.
  正GK:ブッフォン、カシージャス、チラベルト、シュマイケル、カーン、チェフ、川口、川島、楢崎・・・など
  好きな数字?:ダーヴィッツ・・・など

 基本は正GKの背番号。

 背番号が、あくまで記号としての意味しか持たなかった時代には、名前順で背番号つけた結果、ワールド杯で背番号1の守備的ミッドフィルダーなども出場していた(元横浜監督のアルディレスなど)。

 ただし、近年でもギリシャのMFカフェスやオランダのMFデ・グズマンがクラブチームで背番号1を付けたり、英ディビジョン4のバーネットでダーヴィッツが監督兼MFとして引退した時、背番号1を付けていた。

2.
  右サイドバック:カフー、マイコン、G・ネヴィル、サルガド、パヌッチ、サニョル、D・アウベス、内田・・・など
  センターバック:フェッラーラ、アジャラ、イバノビッチ・・・など

 基本は右サイドバックの背番号だが、センターバックでもそれなりに存在。

 日本代表では長らく6番をつけていた鹿島アントラーズの内田は2014年のW杯から2番に変更。理由として「右サイドバックといえば普通は2番だし」とのこと

3.
  左サイドバック:R・カルロス、F・デ・ブール、マルディーニ、P・ネヴィル、As・コール、エヴラ、A・ブレーメ、キエッリーニ・・・など
  センターバック:吉田麻、ペペ、ピケ、ルッシオ・・・など
  その他:トリチェリ、細貝、ギャン・・・など

 基本的には左サイドバックかセンターバックの背番号。稀にボランチに付ける事もあるようだ。
 トリチェリは右サイドバックだが、ユベントスでは3番だった。
 なお、ACミランではキャリアの大半を左サイドとして過ごしたマルディーニの為に3番を永久欠番としている。

 よく判らないのが、ガーナのアサモア・ギャン。彼はFWなのになぜだか3番をつけたがる。

4.
  ボランチ・センターハーフ:セスク、ネドヴェド、ジェラード、グアルディオラ、ヴィエラ・・・など
  センターバック:アジャラ、井原、K・トゥーレ、闘莉王、コーラー、イエロ、クーマン・・・など
  サイドバック:サネッティ、酒井、S・ラモス・・・など
  アタッカー:グーリット、本田圭、レコバ、ケーヒル、N・カヌー、アデバヨール・・・など

 基本はボランチかセンターバックの背番号。
どちらかといえば、スペインのグアルディオラ、セスク・ファブレガス、チェコのネドヴェド、イングランドのジェラード、フランスのヴィエラなど有名なボランチがつけている印象が強い。

 アルゼンチンのサネッティが好んでつけているのは、アルゼンチンでは右サイドタイプの選手にこの背番号を与える傾向が強いかららしい。

 なお、ナイジェリアではカヌーがつけていたせいか、やたらとFWにこの番号をつけたがる傾向がある。ちなみに、アタッカーの背番号4の元祖はオランダのグーリット。最近だと、トリノにレンタル移籍したウルグアイの司令塔レコバがこの背番号をつけている。

 日本代表のエース本田圭が2012年頃から「好きな数字」ということで背番号4を背負い、話題になった

5.
  ボランチ・センターハーフ:エッシェン、エメルソン、レドンド、スタンコビッチ、稲本・・・など
  センターバック:ベッケンバウアー、カンナバーロ、プジョル、ブラン、ファーディナンド、宮本・・・など
  サイドバック:長友、駒野、ギャラス、ブロンクホルスト・・・など
  アタッカー:ジダン、リバウド、フォルラン、バロシュ、エトー・・・など

 基本はボランチかセンターバックの背番号。
 ただ、レアルマドリードに移籍したジダンが何故かこの背番号だったり、ギリシャのオリンピアコス1年目にリバウドがこの背番号をつけて復活しUEFA杯で活躍していた(2年目からは活躍のご褒美からか10番に)。「10÷2=5」という事なのだろうか?

 ちなみに、ベッケンバウアーの代名詞的背番号でもあり、クライフ(14番)とベッケンバウアーは個人代名詞的な背番号と言う形の先駆者でもある。

6.
  ボランチ・センターハーフ:シャビ、イニエスタ、マケレレ、P・ソウザ・・・など
  センターバック:バレージ、アウダイール、イエロ、デサイー、カルバーリョ、センシーニ、キャンベル、テリー・・・など
  左サイドバック:R・カルロス・・・など
  その他:ジョルカエフ、メンディエッタ、内田・・・など

 基本はボランチおよびセンターハーフかセンターバック(ディフェンスリーダーが多い?)だが、左サイドバックの背番号にもなりやすい。
 有名どころだと、ACミランのバレージやASローマのアウダイールなど。ミランとローマではともに背番号6を永久欠番としている。
(※ただし、ローマでは2013年にストロートマンに背番号6を与えており、ファンの中でも賛否両論となった)

 アタッカーではフランスのジョルカエフがクラブ・代表で6番を愛用していた。

7.
  エース番号:ラウル、ベッカム、C・ロナウド、ロブソン、カントナ、プトラゲーニョ、中田、名波・・・など
  フォワード・ウイング:シェフチェンコ、フィーゴ、デルピエロ、ダルグリッシュ、リベリー、マクマナマン・・・など
  その他:ショル、遠藤、デシャン、ピレス・・・など

 基本は右のウイングハーフ系が多いが、最近はセカンドエースorエース番号としても定着しつつある。
 マンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリードでは、何時の頃からか伝統的にチームのエース番号扱い。

 代表的な選手の名前をあげていくと、錚々たるメンバーがわらわら。

8.
  ボランチ・センターハーフ:シャビ、イニエスタ、ジェラード、ランパード、ダービッツ、シャヒン、ガットゥーゾ、コクー、ドゥンガ・・・など
  アタッカー:カカ、小野、ポボルスキー、カルピン、ミヤトビッチ、ダルグリッシュ、ストイチコフ・・・など
  その他:デサイー、トリチェリ、ジェレミ、三都主・・・など

 基本はボランチおよびセンターハーフ。だが、アタッカータイプでも8番を背負うケースが多い。
 デサイーはセンターバックだが、ACミラン時代にボランチをやっていた頃の背番号をそのまま付け続けているようだ。
 イタリア代表の特殊な背番号のつけ方(下の「9」を参照)のせいで右サイドバックのトリチェリがこの番号。

9.
  ストライカー:ロナウド、イブラヒモビッチ、エドゥ、バティストゥータ、インザーギ、クライファート、ロジェ・ミラ・・・など
  その他:アルベルティーニ・・・など

 点取り屋、エースストライカーの背番号。そのため、我の強いフォワード同士で背番号の取り合いになることもしばしば。

 イタリア代表は1998年以前まではGKが1・12・22、DFは2〜名前順にDF登録人数分、MFはDFの最大登録人数分の次+名前順にMFの登録人数分〜、FWも同じで例外的に10番だけその時のエースというつけた方してたため、MFのアルベルティーニが1994年はDFが7人いたので「9」、1998年はDFが8人+ロベルト・バッジョがいたので「11」をつけていた。

 ちなみに、ポジション別に名前順で背番号を割り振るというやり方は、かつては上記のイタリア以外にもちらほらと見かけられた(70年代以前のアルゼンチンなどはポジション別ですらなかったので、純粋に名前順の結果、背番号1のボランチとか出てた)が近年はほとんど見ない。

10.
  エース:R・バッジョ、ジダン、ストイコビッチ、ベルカンプ、トッティ、メッシ、シードルフ、ロナウジーニョ、バルデラマ、リケルメ、マテウス、中村俊、澤・・・など
  ストライカー:ルーニー、オーウェン、V・ニステルローイ、リネカー、ラッシュ、ロビー・キーン・・・など
  その他:ギャラス・・・など

 基本的にトップ下や司令塔などチームの中心選手の背番号になる。
 なお、イングランドではこの背番号が点取り屋タイプ。

 左サイドバックのギャラスがアーセナル時代に背番号10をつけているのは、前年に引退したベルカンプの背番号を引き継ぐのをアーセナルの選手たちが嫌ったため空き番号になってしまったところに、移籍市場ギリギリでトレードされてきて、レギュラー番号で空いてるならという理由からだったりする。

11.
  ストライカー:三浦知、ロマーリオ、ドログバ、クローゼ、ネイマール、V・ペルシー、サラス、ディウフ、城・・・など
  ウイングハーフ:ギグス、ネドヴェド、ロッベン、オーフェルマルス、ゼ・ロベルト、マクマナマン・・・など
  その他:ミハイロビッチ、ベロン、エッフェンベルグ・・・など

 基本的にフォワード。フォワードでなければ左ウイングハーフが多い。
 セルビア・モンテネグロのミハイロビッチはディフェンダー登録でこの背番号だが、デビュー当時は左ウイングハーフであった為に11をつけていたのを今日まで付け続けているらしい。コクーも代表で左ウイングやった時に着用。
 ブラジルの英雄ロマーリオは11番にこだわり続けており(の割りにはバルサ時代は10番だったりするけど)、彼が全盛期に所属していたヴァスコ・ダ・ガマでは11番は永久欠番となっている。

 1998年。それまで日本代表のエースとして君臨してきた「キング」こと三浦知がW杯本選直前で代表から落選。それまで彼の象徴と言えた「日本の11番」を18歳にして代表入りを果たした小野伸二が受け継いだ事を(W杯フランス大会期間のみ)、当時の日本代表の世代交代の象徴と捉える向きもある。

12.
  GK:ブッフォン、トルド、ジーダ、カーン、ノイアー、レーマン・・・など
  FW:アンリ、V・バステン・・・など
  その他:ブロンクホルスト、ケイタ・・・など

 基本的に控えのGKが多いが、フランスのアンリなどFWも多い。
 アンリはオランダの名FWファン・バステンにあやかったと公言している。

 又、サポーターズナンバーとして選手にはつけさせないクラブも多々ある。

13.
  ドイツのエース:バラック、フェラー、G・ミュラー・・・など
  ボランチ:長谷部、鈴木啓、細貝・・・など
  FW:V・ニステルローイ、柳沢・・・など
  GK:カシージャス、カニサレス、ドュデク、V・デル・サール・・・など
  ブラジル右サイドバック:D・アウベス、マイコン・・・など
  その他:ネスタ、キヴ、エヴラ・・・など

 2000年代の背番号13と言えば、イタリアのDFネスタかドイツのMFバラックというくらいに有名選手の一部で定着している感があった。
 ネスタが怪我してイタリア代表から離脱していた時カンナバロがこの番号をつけていて、ネスタが怪我から復帰した時に「ようやく、ネスタにこの番号を返せる時が来たね」とニコニコしながら言っていたのが印象に残る。
 ドイツでは、ゲルト・ミュラーやルディ・フェラーと上記のバラックの様にスタープレイヤーが付ける事もしばしばある。

 なお、ボランチがつける傾向が強いが、その他では日本の柳沢などFWとかサブのGK、あるいはブラジル代表は控えの右サイドバックとかにつけるようだ。

14.
  代表的な選手:クライフ、ヌジタップ、アンリ、マスチェラーノ、シャビ・アロンソ、中村憲、ハーフナー・・・など

 オランダの偉大なるプレイヤー、ヨハン・クライフの背番号の為、オランダではチームの重要選手につけさせたがることもしばしば。
 小野がフェイエノールトに在籍していた時、この番号を背負ってたのはチームからの期待の表れでもあった。
 オランダ代表でも、オーフェルマルス、シードルフ、スナイデルなどが一度は背負っている。
 ただし、クライフ自身が歯に衣着せぬ物言いで批判する人なので、下手に14番背負ってボロボロに言われることを嫌がる選手も多いのだとか?

 又、イタリアではマルコ・タルデリと言う名ボランチが背負った番号でもある為、ボランチにつける事もしばしば。

 ちなみに、フランスのバルテズが親善試合でFWで出場した時につけた背番号。本来、試合に出る予定がなかったのだが、目立ちたがり屋の彼はFWでも良いからと出場直訴。フィールドプレイヤー用のユニフォームなんて持ってないので、体格がほぼ同じ控えDFのメイからユニフォームを借りて出場したと言う事らしい。本当は、既に引っ込んでいたベッカムのユニフォームを借りるつもりだったけど、流石に一度引っ込んだ選手の背番号は×とダメ出しされたそうな。

15.
  センターバック:テュラム、ヴィディッチ、ペペ、S・ラモス、今野・・・など
  その他:マルーダ、オリセー、ケイタ、ベナユン、バロシュ、L・フェルナンデス・・・など

 有名どころではフランス代表時のテュラムが有名。どちらかと言うとセンターバック系が多く名を連ねる。
 セルヒオ・ラモスはリーガの試合中に亡くなった親友プエルタが、代表で背負っていたという理由で、自身もスペイン代表時は15を好んでつけている。

16.
  GK:バルテズ、レーマン、チェフ
  その他:中田、ロイ・キーン、デ・ロッシ、アイマール、カモラネージ、メンディエッタ、コエントラン・・・など

 基本は控えのGK。12を控えGKとして使わないクラブ等はこちらを使う事がしばしば。
 ただ、フランスのバルテズは何故かこの番号が好きで、大抵のチームで第一GKを務める割に16番を背負うケースが多い。

 中田英寿がボローニャにレンタルされた時やボルトンに移籍した時の背番号がこれであった。理由はと言えば「1 + 6 = 7」だそうで、中田英寿は最近エース格の番号として定着してきた「7」についてこだわりを持っている模様。
 又、「9」の所に書いた理由で、トッティが代表デビューした頃はFWの名前順でこの背番号。同じ理由で代表では「18」をつけた事もある。

17.
  代表的な選手:カンナバーロ、宮本、長谷部、ナニ、ケーヒル、V・ボメル、ハムシク、プティ、三浦淳・・・など
  その他:A・ソング

 有名所では、イタリアのDFカンナバーロがパルマ時代につけていた番号。日本でも秋田や宮本などの名DFが背負った番号でもあり、主にセンターバック系の背番号なのかも。他に、フランスのプティやイングランドのジェラード、日本の長谷部などに代表されるようにボランチでも使われるようだ。
 最近のカンナバロは4、5番ばかりだが、菓子屋はマルゲリータを引いた時は必ず17番をつけさせている。

 ちなみに、カメルーンのアレクサンドル・ソングがアーセナルやバルセロナで背番号17を背負うのは17人兄弟全員を背負うという意味を込めているとのこと。

18.
  代表的な選手:キリー・ゴンザレス、本田圭、スコールズ、小野、マニシェ、クローゼ、クリンスマン、レオナルド・・・など

 基本的に控えのFWがつける事が多くアタッカー番号。有名どころでは、ドイツの名ストライカーのクリンスマンやACミラン時代のロベルト・バッジョがつけていた。
 ロベルト・バッジョがミランから放出される際に、自分の背番号はレオナルドに受け継いでほしいと言った結果、レオナルドはそれ以降、ACミラン以外に在籍した時やブラジル代表などでも常に18番をつけるようになった。

19.
  代表的な選手:パウロ・ソウザ、ザンブロッタ、カラグーニス、シュナイダー、カモラネージ、M・セナ、サニョル、ジュニオール・パウリスタ、李忠成、高原・・・など

 ポルトガルのパウロ・ソウザやイタリアのザンブロッタの番号として有名。その他では、アルゼンチンのバティストゥータがインテルにレンタル移籍された時やクライファートがバルセロナ移籍初年度などにこの背番号をつけられたように、アタッカータイプが多い。

20.
  代表的な選手:イグアイン、レコバ、デコ、洪明甫、シードルフ、バティストゥータ、ビアホフ・・・など

 基本的にアタッカーが多く、ウルグアイのレコバやポルトガルのデコなど司令塔系がこの背番号をつける事が多い。
 そうでなければリベロタイプが多く、洪明甫がアメリカに移籍した時に20番をつけられなくて残念がっていた。

 オランダのファン・ペルシーがマンチェスター・ユナイテッドに移籍した際に20番を選んだ理由は、マンチェスター・ユナイテッドの20回目の優勝を請け負う事を自身に課したためらしい。
 ファン・ペルシーと似た話では、ジャンルは違うが野球のメジャーリーグでヤンキースの27回目の世界一を目指してジラルディ監督が背番号27を背負い、見事ワールドシリーズを制した翌年に背番号28に変更したという逸話がある。

21.
  代表的な選手:ピルロ、テュラム、ラーム、アイマール、ルイス・エンリケ、バレロン、ピレリ、フォルラン・・・など

 ここも基本的にアタッカーが多い。有名どころではアルゼンチンのアイマール、スペインのルイス・エンリケ、バレロン、イタリアのピルロ、ポルトガルのヌノ・ゴメスや、フランスのジダンがユベントス在籍時、ロナウジーニョがPSG在籍時につけていた。

 なお、バレンシア時代のアイマールは、ルイス・エンリケに触発されて21を選んだらしい。

 又、異色所ではメキシコのGKカンポスがフォワードとして代表に選抜された時の背番号がこれだったりする。
 アタッカー以外では、フランスのテュラムがクラブではこの背番号をつけている。

22.
  代表的な選手:ベリンガム、カカ、ブット、グジョンセン、リベリー、シャビ・アロンソ、オシェイ、阿部、内田、吉田麻、中澤、車ドゥリ・・・など

 ここは中盤の選手が多い。有名どころでは、ACミランのカカ等。

 又、以前のW杯は登録最大人数が22人だった為、普段は4番をつけ続けるのに1998年W杯の時のアルゼンチン代表に追加召集されたサネッティや、2002年W杯でイタリア代表正GK争いのライバルであるブッフォンが強硬に背番号1を要求した時にあっさりと1を譲ったトルドが余ったからと言う理由でつけた背番号だったりする。ちなみに4年前のイタリア代表では逆にトルドが1で、ブッフォンが22だったりした。

 なお、横浜マリノスの中澤は最初に入団したヴェルディ川崎で22番をもらって以来、初心を忘れないようにと、契約が遅れたシーズン以外はずっとヴェルディ・マリノス、日本代表で22番をつけ続ける。

 面白いのはイングランド代表のベリンガム。キャリアを始めたバーミンガム、ドルトムント、代表と22をつけてきた理由は「10番(トップ下)、8番(センターハーフ)、4番(アンカー)の各ポジションの役割をこなす自信があるから」でそのすべてを足すと22になるからとのこと。マドリードではすでに22番が埋まっていたので5番になったが「心は22番」らしい。

23.
  代表的な選手:ベッカム、香川、ベロン、アルシャビン、レイナ、キャンベル、マテラッツィ、ルイス・・・など

 バスケの神様マイケル・ジョーダンの背番号の為、好んでつける選手も多いとか。ラッツィオ時代のベロンなどがそれに当たる。
 ちなみに、レアルマドリード移籍時にベッカムの背番号が23に決定した時、わざわざ「別にジョーダンに興味がある訳ではないよ」って言っていた。しかし、今度はアメリカのLAギャラクシー移籍が決まった時には「背番号はレアルと同じ23をつけたい。マイケル・ジョーダンの大ファンだし、米国では特別な番号だ。」とか言っていた。

 又、W杯の登録最大人数が23人である為、代表の第3GKの背番号とか、最後に追加召集された選手などにも使われやすいらしい。2002年メキシコのカンポスなど。

 ちなみに、2002年のW杯直前におけるアルゼンチン代表は、背番号10をマラドーナの為に永久欠番として、それまで10を背負っていたオルテガには23に変更させていたのだが、W杯の予選・本大会では23名で1〜23の背番号欠番を認めないとFIFAが拒絶した為、結局、オルテガは10を背負ってW杯に臨む事になった。

24.
  代表的な選手:マケレレ、F・コウト、J・マルティネス・・・など

 守備的な人材がこの番号を背負うケースが多いらしい。ラッツィオ時代のコウト、レアルマドリード時代のマケレレなど。

 アタッカータイプでもベッカムや本田圭などがつけているが、彼らの場合は若手時代につけていた背番号であった。

25.
  代表的な選手:中村俊、シュナイダー、レイナ、サムエル、ゾラ・・・など

 ファンタジスタタイプがこの背番号をつけている事が多いらしい。
 横浜マリノス入団直後の中村俊輔はこの背番号。
 更に2005年夏、レジーナからセルティックスへ移籍した際に中村俊輔は空いてる番号の中から背番号を好きに選んで良いと言われて、セカンドエースの7が空いているのも関わらず25番を選択。何故、25番なのかたずねられた所、「2 * 5 = 10」と答えたそうだ。

 ファンタジスタタイプと言えば、もう一人。「ミスターチェルシー」こと、ジャンフランコ・ゾラのチェルシー時代の背番号。チェルシーでは公式に永久欠番としてはいないが、ゾラ退団後に背番号25を付けた人物は2012年現在までいないのであった。

 当時、16歳の高校生でレアルのCチームに在籍していたカシージャスが、ある日、高校の校長先生から「明日、マドリードへ行きたまえ。」と伝えられて、行った先でもらったトップチームのユニフォームの番号がこれ。その時はデビューしなかったが、翌々年にやはり25番の背番号をつけてレギュラーGKの座を獲得する事になる。背番号1になるのはその翌年。

 そういえば、内田が日本代表に初選出された時や駒野がジュビロに移籍した初年度の背番号。ドイツのシュナイダーとかもいるし、右サイドバック向けの背番号でもあるのだろうか?

26.
  代表的な選手:ダーヴィッツ、キヴー、テリー、カラグーニス・・・など

 ダーヴィッツが一番輝いていたユベントス時代の背番号として有名。
 菓子屋はノーマルボランチに良く8番を与えるので、ターヒュッツには26番をつける事が多い。
 ルーマニアのキヴーはインテル移籍時に26を選択。好みの背番号13を2倍にしたのだろうか?

 イングランドのジョン・テリーは、アブラモビッチ体制以前にチェルシーの象徴的存在として君臨していたジャンフランコ・ゾラへ少しでも近づきたいという思いから、彼の背番号「25」に近い背番号として、チェルシーにおいては26番を付け続けている。

27.
  つけていたことがある選手:中田、遠藤、小笠原、サルガド、パヌッチ・・・など

 日本代表に入りたての頃の中田英寿が1試合だけこの背番号をつけていた。その後、2002年W杯直前の出る予定のなかった強化試合でも急遽参戦を決めた時にもこの背番号。中田英は7に絡めた背番号を好む傾向がある。

28.
  代表的な選手:ケディラ、K・トゥーレ、グアルディオラ・・・など

 グアルディオラがスペインを出てセリエAのチームに在籍していた頃の背番号。ちなみに、グアルディオラの出身であるバルセロナに入団した大空翼の背番号でもある(マンガの話だけど、リバウールから10を奪取できず2+8=10だからという理由で)。
 浦和レッズ入団当初の小野やリバプールでのプロ1年目時のジェラードの背番号でもある。

29.
  つけていたことがある選手:香川、As・コール、本田圭、川口・・・など

 C大阪入団当初の香川の背番号であるが、1年目は出場機会がなく、レギュラーとなった2年目は背番号を26に変更している。

30.
  つけていたことがある選手:サビオラ、ベナユン、高原、鈴木隆・・・など

 ひそかに日本ではFW系の背番号?日本代表時の呂比須ワグナーや鈴木隆行(鹿島でレギュラー取った頃やベルギー時代も)、ボカ在籍時の高原などの背番号。
 バルサ・レアルというリーガのトップツークラブで出場機会を失ったアルゼンチンのFWサビオラが、出場機会を求めてベンフィカ・リスボンに移籍した際の背番号。親友アイマールとのコンビでベンフィカでは再び輝きを取り戻した。尤も、サビオラは背番号7が好きだと公言してはいる。

31.
  代表的な選手:スタム、シュバインシュタイガー、大黒、岡崎・・・など

 オランダ代表のスタムが在籍クラブで常に付け続けた背番号。ただし、最後に在籍したアヤックスでは背番号3。
 普段は、背番号8を好むブルガリアの英雄ストイチコフが、柏レイソルでの1年目はこの背番号。

 最近だと、ドイツのシュバインシュタイガーがバイエルンミュンヘンでずっとこの背番号。
 元ドイツ代表バラックの大ファンである彼は、バラックの背番号13を逆さにしたとされている。

 ちなみに、阪神ファンの大黒は掛布の背番号ということで、日本代表に初選出された時31をつけて喜んでいた(大黒は岡田の背番号ということで16も大好き)。

32.
  代表的な選手:テベス、ビエリ・・・など

 イタリア代表のビエリがスペインから帰ってきて以来在籍クラブで付け続ける背番号。このくらい大きめの背番号は大抵、移籍期限ギリギリとかに選手登録されて余った背番号の中で比較的若めの背番号として暫定でつけれらることが多いようだ。

 ビエリ以外に、好んでつける選手といえば、アルゼンチンのテベスがウエストハム移籍後からはクラブでずっと32番を付けている。

33.
  代表的な選手:チアゴ・シウバ・・・など

 ASローマの中心選手としてスクデットの獲得にも貢献しているバティストゥータだが、意外にもASローマでは背番号をころころ変えている。この番号はフィオレンティーナから移籍してきた直後の背番号で、この後、18番や20番を背負ったりする。

 ACミランの大型センターバックであるチアゴ・シウバは自分の背番号33をマルディーニの3のようにミランにおける永久欠番にするのが夢と語っていた。そもそも、33を選んだ理由もマルディーニの3にちなんで選んだらしい(ただし、ミランから放出されてからは3をつけたことがない)

34.
  つけていたことがある選手:イニエスタ、イグアイン、チェフ・・・など

 イニエスタのバルセロナBでの、イグアインのリーヴェルでのデビュー当時の背番号。
 なお、イニエスタは思い出の品として、カンプ・ノウのピッチに初めて立った時に着ていた背番号34のユニフォームを挙げている。

35.
  つけていたことがある選手:長谷部、宮本、レイナ・・・など

 今や日本代表の中心となった長谷部が、2006年のアジア杯でジーコジャパンに初選出された時の背番号。
 又、ガンバ大阪にいた宮本が、シーズン中にプレミアリーグに移籍するかもしれないと言うことで、いつも使っていたレギュラー背番号の5を敢えてつけずにこの背番号にしていた事があった。なお、移籍はお流れになって、次のシーズンは結局5にもどしていたというオチ付き。

36.
  つけていたことがある選手:エジムンド、ヴィエリ・・・など

 エジムンドがヴェルディに移籍し、ヴェルディJ2降格の危機を救った時の背番号。32のビエリ同様に緊急補強であった為、その時の空いた中で一番若い番号を付けられていた。翌年はセカンドエースナンバーの7に変更している。
 渡世人の歴史は繰り返す、ACミランからモナコに緊急放出されたビエリは折角お気に入りとなった32が空いていなく、適当な背番号を渡されてしまった。しかし、その後にセリエAに戻った時は32に戻している。

37.
  つけていたことがある選手:川口、リトマネン、ベイル、シュクルテル・・・など

 経緯はよく判らないが、川口がポーツマスに移籍した時の背番号。

 ほかに、フィンランドのリトマネンがリバプールに移籍した時や、スロバキア代表でリバプールの主力DFでシュクルテルがこの番号。
 リバプールでは37は、案外好選手がつける背番号?

38.
  つけていたことがある選手:三都主・・・など

 ブラジル生まれの日本人、三都主アレッサンドロが名古屋グランパスへ移籍した際に選んだ背番号。
 三都主といえば、クラブでは8番を好むが何故38番?と尋ねられたところ、「既に8番をつけてるマギヌンから背番号を奪って喧嘩になったらいけない。彼とは仲良くやりたいしね。38にしたのは、もちろん8に拘っての事。自分が好きな8に自分の名前の「三」を付け足してみたんだ」と答えた。

39.
  代表的な選手:アネルカ、ファディガ・・・など

 ボルトンで中田英とポジション争いをしていたセネガルのファディガのボルトンでの背番号。移籍1年目はシーズン中の移籍であった為大きい番号を渡されたようだが、2年目も背番号はそのままであった。ちなみに、ファディガがボルトンを退団した後は、フランスのアネルカがこの背番号をつけている。アネルカは何故か39番が好き。

 監督との確執でヴィッセル神戸を放出された三浦淳が、古巣(当時はフリューゲルスだったけど)に戻ってきた時の背番号がこれ。シーズン中の移籍でもあった為、大きな背番号しか余って無かった様子で翌年にはお気に入り(?)の17に戻している。

 また、FC東京の平山がヘラクレスから帰国し、Jリーガーとなった初年度の背番号がこれ。2年目からは13を愛用している。

40.
  つけていたことがある選手:パウロ・ソウザ、小笠原・・・など

 パウロ・ソウザがインテルに移籍した際に背番号が余っていなかった為に、こんな大きな背番号を付けられていた様だ。
 移籍期限ギリギリなどで、既にチームが固まっている状態で移籍が決まったりすると、往々にこんな事があるようだ。

 なお、鹿島の小笠原は、日本復帰時に40までで好きな背番号を選んで良いといわれて、誰も付けたことないだろう背番号だからという理由でこの番号を選んでいる。

42.
  つけていたことがある選手:クインシー・・・など

 2005年のワールドユース大会で、オランダユース代表として日本ユース代表の守備陣を一人で粉砕したガーナ人のクインシーがアーセナル所属3年目につけた背番号。
 ちなみに、このクインシー、アーセナル退団後はほぼ毎年のように所属チームが変わっており、6年で8チームを渡り歩いている。
 その度に背番号も、違う背番号に変更しているのだが、4年間在籍したアーセナルでも毎年のように背番号を変えている。

43.
  つけていたことがある選手:槙野、デ・ヘア・・・など

 槙野がケルンに移籍した初年度や、デ・ヘアがアトレチコのBチームからトップチームに昇格した初年度の背番号

44.
  つけていたことがある選手:ティモシュチュク、オコチャ・・・など

 スーパーイーグルスの心臓オコチャ。
 引退間際に移籍したイングランド2部になるハルシティでの背番号がこれ。

 あと、ウクライナのティモシュチュクが、ゼニトやバイエルンでこの背番号。
 代表やシャフタル時代は4を付けていたりするので、彼は4が好きな様子。

45.
  代表的な選手:バロテッリ・・・など

 イタリアの「悪童」バロテッリが、クラブで好んでつけている。
 エースストライカーの象徴である「9」への変更を打診されたのを拒否し、「自分はミスター45。一生背番号を変える気はない」とまで言ったとか。

48.
  つけていたことがある選手:吉田麻・・・など

 アジア杯の予選は、間隔が開いて行われることが多く、予選序盤と終盤とで選出される選手もごっそり入れ替わってることが多い。
 そして、アジア杯の予選では1度でも出場した選手の背番号を変えてはいけないという規則があるため、予選終盤に出場した選手の背番号がとんでもない背番号になることがしばしばある。

 2011年のアジア杯最終予選の召集メンバー背番号が正にそれ。この時は、初代表の若手が大量に招集されたため、彼らの背番号は、1〜100までの大半が用意されており、実際に試合でもそういった背番号をつけて出場なりベンチ入りなりしていた。

 吉田麻はこの時、背番号48でデビューしている。

49.
  つけていたことがある選手:ロナウジーニョ・・・など

 ブラジルに戻ってきたロナウジーニョは、移籍先のフラメンゴでも活躍し健在ぶりを見せていたが、年俸未払い問題でフラメンゴを退団し、アトレチコへと移籍。その際に選んだ背番号が49であった。
 移籍に前後して難病で手術を受ける事になった、彼の母親の生年からとったとのこと。

54.
  つけていたことがある選手:シュキル・・・など

 エースストライカーの証である背番号9にこだわるトルコのハカン・シュキルが、インテルに入団した時につけた背番号。
 真ん中に小さく「+」と書いて「5 + 4 = 9」と言いたいらしい。
 ちなみに、この「+」はインテル2人目で、最初の1人目はチリのサモラノが「18」の真ん中に「+」を書いていた。
 ちなみに、この両者が在籍した当時のインテルの背番号9はブラジルの「怪物」ロナウド。相手が悪い。

55.
  代表的な選手:長友・・・など

 長友がインテルミラノに電撃移籍を果たした時の背番号。本人曰く「慣れ親しんだ5番にしたかったんだけど、スタンコビッチがつけているので、5が2個並んだ数字を選びました」とのこと。

57.
  つけていたことがある選手:本田圭・・・など

 2009年から2010年まで行われたアジア杯予選の予備登録用背番号での本田圭の背番号。
 48にも書いた通り、2009年時で若手のホープとして予備登録された時につけられたので、2010年ですっかりレギュラー化した時でも、背番号57でアジア杯の予選に出場している。

66.
  つけていたことがある選手:アルダ・・・など

 トルコの主力で、ガラタサライやアトレチコ・マドリードで背番号10を背負うサイドアタッカーのアルダ。彼がガラタサライでデビューしたての頃の背番号は66で、この番号で欧州CLなどにも出場していました。

 トルコは、こういう主力選手が大きな背番号を背負うことが多く、ガラタサライがUEFA杯を優勝した時も、57番のハカン・ウンサルや67番のエルギュンなどが、またアルダと同じ頃、逆サイドのレギュラーをはっていたサブリも背番号55とかつけている。

 生まれた年を背番号に付る選手は多いが、トルコのそれは生年とは関係ないケースが多い。

69.
  自分の生年より:リザラズ・・・など
  つけていたことがある選手:槙野・・・など

 フランスのリザラズが、レンタル移籍でマルセイユからなじみのバイエルン・ミュンヘンに戻ってきた時の背番号。慣れ親しんだ、背番号3は既に別の選手に譲っていたため、自分の生まれた年(1969年)を背番号に採用したらしい。

 槙野は、48にも書いたとおり、アジア杯予選での予備登録用背番号。

70.
  自分の生年より:エムボマ・・・など

 Jリーグでも活躍したカメルーンのエムボマが、パルマに移籍してきた時の背番号。詳細は判ってないが、リザラズ同様に、自分の生まれた年(1970年)を背番号に採用したものと思われる。

71.
  自分の生年より:ニコポリディス・・・など

 2004年の欧州選手権を制したギリシャの正GKニコポリディス。その活躍から、名門オリンピアコスへ移籍した際に、彼もまた、自分の生まれた年(1971年)を背番号に採用したのである。

76.
  自分の生年より:シェフチェンコ・・・など

 チェルシーでの不振とミランの事情により、かつて栄光を欲しいままにしたミランにレンタル移籍の形で復帰することになったシェフチェンコだが、背番号7は既に将来のミランを担う人材としてパトに渡したばかり。また、レンタル移籍での復帰と言うこともあって、慣れ親しんだ背番号7を背負うことを断念したシェフチェンコは、結局、7が入っているというのと自身の生年(1976年)にちなんで背番号76を背負うことになった。

 この流れは奇しくも、同時期にACミランに帰ってきたロナウジーニョと同じような経緯をたどっている。

77.
  つけていた事がある選手:ココ、ブッフォン、クレスポ、アッビアーティ、ナニ・・・など

 イタリア代表のブッフォンがパルマ在籍時のとあるシーズンに希望していた88を市民団体からのクレームで断念してこの背番号を選んだ。ただし、翌年のユヴェントス移籍後は1に付け替えている。なお、この際は彼がどんな背番号を要求するかは注目の的になっていたらしいが「問題になるといけないから、チームに任せたよ」と言って1番を貰う事になったらしい。
 なお、42歳でユヴェントスに復帰したとき、パルマ時代以来の背番号77を特例(ユヴェントスは大きな背番号を許可していない)でつけることになった。
 イタリア人はこの番号が好きなのか、左ウイングバックとして活躍していたココはクラブではずっとこれをつけ続けているし、ジーダとのレギュラー争いに破れたGKアッビアーティもACミランでは一時期この番号をつけていた。

80.
  自分の生年より:ロナウジーニョ・・・など

 バルセロナを放出されたロナウジーニョは、ACミランへ移籍する。これまでの彼の実績を考えるとミランの10番を背負っても申し分ないとはいえ、ミランにはやはり10番にこだわりを持っていたセードルフがいた。イタリアでは彼等の背番号をめぐる駆け引きが注目されたが、あっさりと10番をセードルフに譲り、生まれた西暦年(1980年)にちなんでこの背番号を選んだ。

 この流れは奇しくも、同時期にACミランに帰ってきて背番号7にこだわりを持っていたシェフチェンコと同じような経緯をたどっている。

81.
  つけていたことがある選手:平山・・・など

 48にも書いた通り、アジア杯最終予選の予備登録用背番号で、平山はこの背番号で代表デビューし、ハットトリックを決めている。

84.
  自分の生年より:チアゴ・シウバ・・・など

 ブラジルのチアゴ・シウバがディモナ・モスクワにレンタル移籍された時の背番号。恐らく、自分の生年である1984年にちなんでつけたものと思われるが、移籍元のFCポルト、モスクワに在籍していた2年間は怪我と結核で出場することができず、当時は引退も考えていたそうな。

86.
  つけていた事がある選手:酒井高・・・など

 48にも書いた通り、酒井高のアジア杯最終予選の予備登録用背番号。ただし、試合には出ておらずベンチ入りにとどまっている。

88.
  つける予定だった選手:ブッフォン
  つけていた事がある選手:モッタ・・・など

 背番号77に記載した通りブッフォンが断念した番号。そもそも何で問題になったのかと言うと、8はアルファベットでは「H」になり。「88」=「HH」。この「HH」と言うのが「Heil Hitler(ヒトラー万歳)」の略語に当たるという事でユダヤ人達の感情を刺激したらしい。
 ブッフォン本人は、「○(サッカーボール)が4つある」と言う茶目っ化から選んだ背番号だったと説明していた。ちなみに、○の意味はサッカーボールと言う解釈以外に「強い男は4つのキン○○を持つ」と言う意味だったという説もあるらしい。
 又、「元々は00か01にしたかったけどルールで禁止。99は前から同僚が着けてるし、66は悪魔の数字だってんでヴァチカンに怒られそうだから、消去法で88にしたんだ。それでも怒られるみたいだから、別の番号に変えるとするよ。」と言う発言もあったらしい。

 菓子屋は良くブッチにこの番号を与えブッフォンの恨み(?)を晴らしてやっている。

90.
  自分にとって特別な年:アドリアーノ

 アドリアーノがパルマでブレイクする前のフィオレンティーナにレンタル移籍された時の背番号。
 父親が銃の暴発で重症を負い一時はサッカーを諦めかけた1990年(’90)を背負う事で励みにしようとしていた。

97.
  つけていた事がある選手:エジムンド・・・など

 エジムンドがナポリにレンタル移籍した時の番号。エジムンド自身が「背番号は7か9か10でないと嫌だ」と言った挙句、このような背番号を選んだと言われている。ちなみに、この年のエジムンドは実に所属チームを3回代えて最後はヴェルディに移籍し、ヴェルディJ2降格の危機を救っている。

99.
  つけていた事がある選手:ロナウド、カッサーノ、エトー、ファディガ、キューウェル・・・など

 ロナウドがレアルマドリードを離れて、ACミランに移籍した際の背番号。
 いかなロナウドでも、ACミランの人気者インザーギから背番号9を無理矢理に奪うことはできず、かと言ってエースストライカーの象徴でもある9番には思い入れがある事から、99で妥協したともっぱらの噂。

 イタリアの「悪童」カッサーノは、18と99がお好き。18が好きな理由は良く判らないが、99については「9+9で18になるだろ。あと、ロナウドがミランで付けてたし」との事。

 なお、本記事は「blu-nero」様の「背番号いろいろ」コンテンツの記事を大いに参照させてもらっています。
 興味ある方は、そちらのサイト様も訪問してみてはいかがでしょう?


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